リツエアクベバ

satomies’s diary

おもしろかったの、ココ。と、この話題のちょっとした感想。

ちょこちょこ回っておもしろいの見つけた。エントリよりまずコメント欄。

「学校では、誰もが15秒だけスターになれる/Ohnoblog 2」の大野さんのコメント2008/06/18 20:46
今日、大学の授業で学生達に訊いてみましたところ、ディズニーで初めて「白雪姫」に接した、グリム童話は読んだことがないという学生が、おそよ400人のうちの7割強を占めました。
ご存知のようにグリム童話の「白雪姫」を大幅に脚色したものが、ディズニーの「白雪姫」です。

ここで「ディズニー版『白雪姫』」のお話をいっぱいされていてこれがおもしろい。それでもって、もっとおもしろかったのはディズニー版を具体的に語ってらっしゃるココ。

「学校では、誰もが15秒だけスターになれる/Ohnoblog 2」の大野さんのコメント2008/06/19 08:35
私はそれ以外に、冒頭で白雪姫が王子様に一目惚れしている設定(つまり以後ずっと王子様を待つ少女となっている)、鏡の中の顔と声が厳格な老人のものであること、白雪姫の「困った時は歌えばいいのね」というセリフややたらと身をくねらせる仕草、小人達に対する母親然とした態度、魔法使いに騙されるのが一回だけなこと、小人達に追いつめられた魔法使いが稲妻に打たれて死ぬこと、王子様のキスで目を覚ますなど、原作と違う部分があまりにも多過ぎると思いました。

うはははは、と、ウケまくってしまいました。特に「やたらと身をくねらせる仕草」というところ。ホントホントと。あと、小人たちにいってらっしゃいをするときのキスのシーンは、なんつーか、ちょっとああいうサービス業をしてる人っぽいというかなんつーか。
ディズニーの「白雪姫」のビデオは、娘のお誕生日のときに祖父母がプレゼントとして贈ってくれたもの。娘は動物たちがばばーっと来るところとか、白雪姫と小人たちのダンスのシーンとかが好きで、よく見てた。でもこれが娘のプリンセス思考を育てるビデオになったという印象は無いなあとも思う。娘はディズニービデオはいろんな物語の音楽部分だけをつないだビデオの方が好きだったし。もっと言えばトトロの方が好きだったし。
ああそうそうトトロと言えば、このエントリのこのコメントに反応。

「学校では、誰もが15秒だけスターになれる/Ohnoblog 2」の餡 さんのコメント2008/06/19 10:45
そういえば、となりのトトロを毎日ビデオで見ている子がいるという話を宮崎駿氏の書籍で読んだ事があるのですが、そういう話は作品自体に危険が潜んでいると考えるより、そういう環境に陥る事自体が危険だと感じます。

ウチはトトロのビデオは借りて見て。娘がやたらに気に入ったので購入して、繰り返し観すぎて一本ダメにして、二本目買って。その後DVDでも購入。娘は全編通して登場人物の動きを全て暗記。「環境」というより、トトロは子どもが選ぶ作品ですね。気に入り方に親が驚く、って感じ。小さい子のいる家にトトロがある家は多く、その気に入り方に驚いたって話はよく聞いたなあと思う。危険、かなあ。
さて、再度ディズニー版「白雪姫」に戻って。この「白雪姫」が教育的な役割をしたのは息子の方。
6歳のときに幼稚園の友達が亡くなった。先天性の心臓病で手術と入退院を繰り返してた。年長の終わりに亡くなった。ご両親の希望ということで、葬儀の日に同じクラスの子たちは全員葬儀に出席した。
棺がおかれ、祭壇がつくられ、周囲の人が泣く。息子は「白雪姫みたいだね」と言った。映像で入っていた記憶がここでふと思い出されたという感じだった。(そうくるか)とドキっとしながら「そうだね」とわたしは答えた。「でもね、王子様は来ない。誰がキスをしても、もう目を覚ますことはないんだよ」。息子はこれで生まれて初めて向かい合った「死」を理解した。
あと。この話題の元々の話題ということでいえば。

日本のある郊外の小学校で、ヒロインの白雪姫がなんと25人も現れる学芸会が行われた。そこには、原作に出てくるコビトや魔法使いのおばあさんの姿はまったくない。舞台作りをしたのが、モンスターペアレントと呼ばれる日本の父母たち。ヒロインに1人の女の子を選ぶのは不当だとして、教師たちを脅し、迷惑電話をかけて降参させたというのだ。記事では、「親たちにとって、勝利の舞台だった」と書いてある。記事タイトルは、「日本のモンスターペアレント、センターステージを奪う」だ。

コレ、ホントかなあとか思う。この「学芸会で25人の白雪姫」みたいな話、わたしもテレビで何度か見たことのある話題なんだけど。不思議に思ってたことがあって。「ほらこんなことやってる」みたいな感じで本当は一人のはずの主人公がぞろぞろと集団で舞台に上がる映像は見たことはあるけれど、そういうときにその作り手になった側の声の取材が出てこないこと。そういう展開になるのはわかっているさ、親がどうのってことだろう?みたいな視線。「日本のモンスターペアレント、センターステージを奪う」ってタイトルになるほどのことだったら、その主張をした親分が意気揚々と自説を語るなんてことが出てきてもよさげなもんなのに、とか。
教育現場での演劇体験って、登場人物がたくさん出てくる戯曲集ってたくさんあるよねえ。Googleで「小学生 劇」って入れるだけでもぽんぽん出てくる。親が見て平等がどうのってことではなくて、教育的配慮として演劇体験をできるだけ均一に、ってとこはあるんじゃないかとも思う。体験を得る機会の均等性ってことはあるよね、と。するってえと、不自然じゃない形で登場人物がたくさん出てくる戯曲が必要になってくるんだと思う。
だから「25人の白雪姫」ってのが出てきたら、そこで普通に疑問なのは教材としての戯曲はたくさんあるのに、なんでそこで「白雪姫」?ってことなわけで。そのあたりからの教室内でのメイキングの方がよっぽど興味があるんだけどね。そのメイキングの話自体がちっとも出てこない方が、25人の白雪姫よりわたしは不思議だなあと思うな。