リツエアクベバ

satomies’s diary

れるられる

日本語の乱れ:ら抜き言葉- Wikipedia
ら抜き言葉」の使用は、東京地方においては大正期から始まったが、この傾向は国家の教育方針のもとで抑制されてきた。1970年に調査された東京都内の小中学生1539名は、「れる」と「られる」の使用について以下のような比率で分かれた

見られる――64.5%
見れる――9.5%
両方――24.1%
来られない――41.7%
来れない――10.2%
両方――47.5%

(土屋信一「東京語の語法のゆれ」『NHK文研月報』21-9, 1971年)

 まあこのら抜き言葉ってのは、現在ではすでに「乱れ」より「変化」の域に達してるんではないかと思う。言語ってのは使用者の数で決定されていく要素がある。
 んで自分は。わたしはら抜き言葉は使用しない。そのスタンスとしては、「乱れに対しての抵抗」ではなく、自分が言語を自分のものにしていった時代の感覚を背負い続けているんだと思う。たいした理由でもなく、その感覚から逃れられないのだろうと思う。上記調査の「1970年の東京都内の小学生」でしたのでわたしは。そして上記の調査を見ると、ああ確かに「来られる」ってのには、「見れる」ほどの抵抗は無いなと思った。
 自分の世代の人間でも、すでにら抜き言葉を常用の人も多いと思う。それは若者文化の中で自ら変化させていった層も多いし、サザンが歌詞中でら抜き言葉を使ったということの影響もあると思う。一時頻繁に流れた「食べれるしゃべれる」というコンビニのコマーシャルのキャッチコピーの影響もあると思う。
 ただわたしは結局その変化にはのれず、他者を否定はしないがその上でも、ら抜き言葉には耳がそれなりに反応するし、自分では違和感が強くら抜き言葉の使用ができない。これは自分が方言をもたずに育ち、日本語の中でまた何らかの言語を変換させた経験が無いことも影響しているようにも思う。そういうとこで多分柔軟性が無いんだな。
 でも自分より若い世代は当然のようにら抜き言葉を選択するのだ、という認識は定着していると思う。そう思うほどに正式な文書のようなものにもら抜き言葉は当然のように出てくるものが多くなったという認識。単なる変化。単なる自分の違和感。それは個人的な言語獲得の背景の歴史と認識。
 なんてこと。なんてことはまあたいしたこともない個人の背景の話。
 そんな個人の背景なんてものをもちながら。朝から、ん?んんん?と思う。そしてぷっと吹く。なんかいいなと思った。言語の正しさなんてどうでもいいや。

僕は根が「優しいひと」ではないとさいきん思ってきた。/故詠みのベル
でも、ひとの悩みは真摯に受けとめれらるひとでありたいと思う。
それは、僕がそういう僕に憧れているという意味でもある。

 うふふと楽しみつつ、下までずず〜っと読みつつ。ああコレ入れたのかと思ってマネッコ。またブログツールを増やしてしまったぜ。