リツエアクベバ

satomies’s diary

「赤ちゃんポスト」と報道

 天竺堂さんとこ読んでから、ど〜しよっかな〜〜、と思ってたんだけど、結局書く。
 この「赤ちゃんポスト」の件、報道を見たときに、最初に思ったこと、(先天性障害児の捨て場にならなきゃいいんだけど…)。
 まあこれは、衝撃→育てられない という心境の変化が起きているときに、「どこかにやってしまいたい」という叫びのようなものを聞いた経験ってのがあるからで。しかし実際のとこ、そうした叫びは通過点のように、数年後には何かあったっけ、という生活をしていることも少なくない。これは支援というものの存在を知らなかった時期、知った時期、という違いも大きいと思う。
 とりあえず預かってもらって、ってこと。結局はそれだけで済むかもしれないこと。それがそのときにはどうしても思えないこと。こういう時にも、この病院が選択したやり方ってのは生きるかもしれないとも思う。
 わたしは最初、この報道を見たときに、この「一時的緊急避難」って要素をももたせようとしているんだ、っていう、病院側の願いのようなものがわからなかった。あ〜あ、そこに入れちゃったら終わっちゃうのに、なんてことも思った。
 でも、gooにあげたエントリのリンクに入れた報道を見て、そうじゃないんだな、と思った。これはさ、報道でその内容で、うっかり誤解しそうになった、ってことなんだな、と思う。
 抱える困難、ってのを考えるときに、あの書籍が消えたのは惜しい、と思う本ってのがあって。その名も「東京おんなおたすけ本」というもの。

 この書籍、わたしが人に聞いて図書館から借りて読んだ時点ですでに絶版。わたしはこの書籍で、経済的に出産が困難な場合の制度や、DVのシェルターの存在と概要、母子家庭に関してのあらゆる制度と母子寮での生活の様子を知る。自分にとって必要のある情報ではなかったけれど、困難がある場合、望めば開く扉というものがこんなにあるものか、という感覚を養うには充分過ぎる本だったと思う。
 困難ってのを抱えたときに、その本人が「開く扉というのはあるはず」と思えるかどうか。またその人間の身近な人に、こういう思考を渡してあげられる人がいるかどうか。このあたりも大きいんじゃないかと思う。
 困難を抱える人の周辺に、そういう人が誰もいなくて。そして産後の精神的にも安定していないときに大きな困難を抱えてしまった場合。それでも泣き叫ぶ赤ん坊を抱いていなくてはならないとき。
 そういうときに、一度ここにおいてもいいんだよ、という場所があるか無いか。それはその場を利用するかどうかってことだけでなく、存在は大きいかもしれない、なんてことを思うんだよね。捨て場ではなく、究極全面的に面倒みてあげるから、って、そういう覚悟を持った場なんだってこと。このことの信頼ってものが、逆に一時的な保護で終わる場合を生んでいくのかもしれない、とも思う。