赤ちゃんポスト関連を調べていて、ふと「コインロッカー」で検索。一時期赤ん坊をコインロッカーに遺棄というニュースが何度も何度も報道に出ていた。これっていつ頃だったんだろう、と。コインロッカーの数があちこちに増えていった時期だったんじゃなかったかと。その後、赤ん坊を捨てないように何らかの処置が取られるようになった記憶がある。
検索ではこの疑問は結局はわからず。見つけたページのひとつをはてなブックマークにクリップ。
ファイル名が「baby.htm」ってのが、わかりやすいというかなんというか。
この統計をつらつらと眺めるに、ああそんなことがあったのか、と思うもの。高島忠夫氏には長男がいたんだなあ、と。(昭和39年(1964).8.24〔17女が高島夫妻の愛児殺し〕)悲惨すぎて、せつない。
1990〜99年は未調査とのことで、統計は無い。この間に、生まれた赤ん坊がダウン症であったことで、母親がその子どもをマンションの窓から投げ落とすという事件があった。テレビ朝日で特集が組まれ、現日本ダウン症協会(当時こやぎの会)が番組作成に全面的に協力し、ダウン症児のいる家庭を何例かピックアップし取材し、そして何度も番組内で、現日本ダウン症協会の連絡先のテロップを流す。
この一年後だったか二年後だったかに、祖母が赤ん坊のいる家ごと焼いてしまう事件が起きる。生後4ヶ月の乳児、この祖母はこの赤ん坊のことでノイローゼ状態であったことが報道される。火事を装った殺人。これも統計上未調査の時期なんだなあと思う。
2002年、マンションの9階から母親が5ヶ月の乳児を投げ落とす事件が起きる。一部報道ではこの乳児に心臓疾患があったことが原因のひとつと紹介され、その他の情報は隠される。これはこの統計調査以後の事件。
事件には至らなくても、障害の受容のさなか、「マンションの窓から、ベランダから、子どもを投げ落としたくなった」というフレーズは、わたしが聞いたことがある中ではそんなに珍しくない。混乱の中「視界から消す」というブラックホール的感覚をどうも生み出す場所らしい。
生後すぐに告知される障害の受容の大きな混乱というものは、長い目で見れば本当に一時期のこと。この一時期に対しての心理的支援の重要性というものを思う。