リツエアクベバ

satomies’s diary

JIROさんからトラックバック

「いじめ問題」では学校の管理責任ばかりが問題となるが、まず、「加害者」とその親の責任を問うべきだ。/JIROの独断的日記ココログ版

 わたしは知的障害のある娘が小学生時代、娘を連れて、数年間、地域の小学校に送迎していまして。えっと、通常学級ではなく、地域の小学校の障害児学級在籍ということで。
 この朝の登校時、最初は娘を連れて、そして少しずつ親の付き添い無しに登校できる距離を増やし、最後に親の付き添い無しで登校できるようにしていきまして。まあこの数年間、朝の通学時間、本来大人が存在しないはずの通学路に存在し、毎朝子どもたちにまみれていたわけだ。
 で、この、朝の通学路、ってのは、以前こちらにまあ、書いているわけです。

通学路/S嬢のPC日記
 「だってあの子は一人っ子で我が儘だってママが言ったもん」。

 関わってるのは親で、素養を植え付けてるのは親で。ってとこはあると思います。ここで書いた内容の中の、「足蹴にしていた子」の親に、少し時間がたってからこの話をしましたが、相手の子が悪い、と。こんなことがあった、あんなことがあった、それからなんとかさんちの子はこんなことをやってる、と。なんというか、お話にならん。この子自身を「悪い子」だと決定しているわけではなく、子どもの悪ふざけがエスカレートしたときにどんなことが起きるか、という報告のつもりだったのだけれど。実際この子とわたしとは、愛称で呼び合う仲だった、って現実もあるわけで。
 また、これまた以前、gooの方で書いているのですが、どこに書いたか忘れたので、再度。

 「希望をもって生きてる―筋ジストロフィーを生きたぼくの19年」(92年ファラオ企画刊「神様に質問」改題)

 筋ジストロフィーの子の生きてきた様子が、本人が周囲に自分を知ってもらうために書き続けた本人作の「新聞」と共に紹介された本なのですが。
 この本の内容の中に、この方が小学生のときに、だんだん弱っていく筋肉という状態で、転びやすくなってきているときに、それを転ばせて遊ぶ子どもたちが出てくる。そしてこの方に周囲の子どもたちが言うわけです「オマエは大人になる前に死んでしまう病気だ」と。
 本人は衝撃を受け、親も黙ってはいず立ち上がり、この子どもたちの親が子どもたちを連れて謝罪に来る。このときに子どもたちが言うわけです、「おかあさんたちがいつも言ってることを言っただけだ」と。
 子どもに何か起きたときに、親は、自分が植え付けた素養ってのを忘れるのだなあ、と思う。忘れた人間に、子どもの行動に対して責任を取れるような行動ができるのか、難しい場合もあると思う。自分の子ども身びいきで見る目というものもあると思う。加害者の親であることを責められたときに、目の前の加害者被害者だけで精一杯になり、加害者の親は、加害者の親であることに対してのそういう現実としての被害者意識のようなものもまた、存在してしまうのかもしれないと思う。JIROさんには申し訳ないけれど、「『加害者』とその親の責任を問うべきだ」と言葉で言うのは簡単で、でもそれを問われたときに建設的な方向にもっていくのは現実的にはけっこう困難なんじゃないか、とも思う。親に社会的制裁を加えても、そのことで親が建設的な思考をもっていかなきゃ、子どもには何も渡せない。親に社会的制裁を与えることで、そのことの影響が子どもに行くのなら、結局同じことは続くようにも思う。いい影響より悪い影響の方が、簡単に思い浮かんでしまう現実の実感ってのは、わたしにはある。
 そういう自分だって、たいしたもんじゃない、と、もちろん思う。人間関係上の失敗、なんてことは山ほどやったと思う。
 その中で、親からもらった、と思うこと。姉が6年生のときに、卒業のためのなんかの企画でなんか出し物をやることになった、と。その練習のようなものをやるんだ、と。で、全員集まってやるのは難しいから誰かんちでなんだかをやろうと相談していて。誰かんちでやるなら全員でってことはできないから、誘いたい人だけ誘えばいいよ、だのなんだのと。
 まあよくある流れかもしれないが、ここでわたしの母親はNOを出した。もともと全員がやろうとしているもの。誘いたい人だけ誘ってあとの人には黙っておこうなんてのは、それがその黙っておかれる人にとっては気分のいいもんじゃない、と。
 今から考えれば、そこで普通は、学校でやれだの、なんとか施設とか借りてやろう、とか、マンションの集会場だとか、そんなことになるんではないかとも思う。しかし当時は簡単に借りられる公的施設は近所になく、そしてわたしの母親は学校でやれとも言わなかった。「全員ウチに呼んでしまえ」と言った。
 当日、普通の住宅であるウチに、20人くらいの女の子がわっさわっさといた。リフォームして6畳と8畳をぶちぬいた広めの居間だったのだけど、そこにある家具を全て別の部屋に片づけた。その「場を作って提供する準備」ってのは、けっこうなエネルギーだったと思う。それがわかっていて、母は言った「全員ウチに呼んでしまえ」。
 集団の中で、誰が、とかなんとかってことに出会うときに、いつも思い出す、数人の子どもたちに向かって「全員ウチに呼んでしまえ」と言った日の母と、わっさわっさしていたあの日の自分ちと。あの日の母に背中を押されるように、「よし」と思ったことも、自分の成長の中で多いと思う。
 親に社会的制裁を加える、ということよりも、子どもは親だけで育つわけではない、ということの方が、わたしは大きいと思う。マイナスの影響を駆逐するプラスの影響。そうした影響を及ぼす人間がどれだけ地域に存在するか。そういうことも大きいと思う。人間が地域社会を構成しているということ。子どもは地域社会で育まれているということ。そのことが忘れ去られがちな地域が増えているということも、わたしは大きいと思う。あの日の母を、わたしが覚えているように、姉の同級生だったあの日の子どもたちの中で、一人でも「全員ウチに呼んでしまえ」と言った地域のおばちゃんを覚えている人がいてくれたらうれしいと思うし、わたしもそうした地域のおばちゃんになりたい。