リツエアクベバ

satomies’s diary

涙とため息

今日、久しぶりに地域のダウン症の親の会の定例会に出る。

もうずっと長いこと、「赤ちゃんのママが初めて話す『親』」をやっている。かかってくる電話を受ける。話を聞き、会につなげていく。活動には関わらない。活動自体は「若い親」が自由に動くのがいい。

フルタイムで仕事をもつ親が増え、活動の担い手がいなくなってきた。そう伝えられることが増えたのだが。去年からのコロナ禍で課題も増えた。
役員を労いたかったし、久しぶりにパートと定例会の日程がぶつからなかったので顔を出そうかと。そう思いながら、コロナだし、人が集まるところはとぐずぐず思っていたが。やっぱり行こうと思って行く。

春休みで幼稚園に通う子や、小学生とそのママたちがいた。順番に近況などを話す。幼稚園の話、学校の話、日常のこと。子どもの名前が出るたびに(ああ、あの子の名前の漢字はこうだ)と、電話で話を聞きながらノートに名前を書いていったことを思い出す。

「びっくりしたでしょう?」。わたしは若いママにこの聞き方をよくする。「びっくりしました!」と相手は答える。そうだよ、びっくりするんだよ。自分のところにふつうじゃない赤ちゃんがやってくるというのは。受け入れられるとかられないとか、そういう人徳みたいな話じゃない。えええ!?というのは「子どもを受け入れられない」とかじゃなく、まずびっくりしてるんだよ。泣いたり子どもを否定したりするのは、まずその自分のところにやってきた運命にびっくりしているからだ。そうやって驚く自分を肯定することからスタートしてほしいとわたしは思う。そんなことから「非日常」は始まり、やがて「日常」になる。

かつてびっくりして困惑して歩き出した女性が、今、目の前で我が子の日常の話をする。ダウン症であることを当たり前の日常にして。子どもは愛らしく、成長している。胸がいっぱいになる。

順番に近況を話す、その順番がわたしのところにくる。「あの時話した人が、日常として今の話をして、子どもが大きくなっていて。胸がいっぱいだ」と言おうとして、口に出して言った。声が震えて涙が出た。びっくりしたね。

ため息

PayPayなんとかのセールで、アイリスオーヤマの安価のコードレス掃除機を買った。たいそう楽しみに配送を待っていたのだが。

どうも充電がおかしい。アイリスオーヤマに電話をかけたら、バッテリーの初期不良らしい。バッテリーは最短で明後日だそうだ。

なに?それ。動かない掃除機でお掃除ごっこをする。あーあ。なんだ?これ。