リツエアクベバ

satomies’s diary

ううむ、と思う

学校で、娘が男の子に背後から突き飛ばされて顎と顔を打ったんだそうだ。今日、娘の担当指導者だった先生から報告と謝罪があった。娘自身もショックを受けているとの報告に、へいへい帰宅後配慮して応対しますと答える。帰宅後即行で「お買い物行くよ〜」と大手スーパーに連れ出して、好きなものなんぞ買ってやる。
「どん」「(び)っくりしたねー」「(顎を指して)ココ」。(おお、言葉で報告できるようになったんだなあ)と喜びつつ、そうかあとかなんとか。よしよし。
事後、即行で保健室だったそうで、たいしたこともなく。ショックも強く引きずる傾向は感じず。だからウチとしてはコレで充分だった。
で。電話が鳴りまして。先方のおかあさまからの謝罪の電話。は? こっちはこっちで娘の今日の指導担任から謝罪されたよ? どんな報告受けたの?と聞く。まあ要は先方(ウチね)に謝って欲しい的な報告だったようで。
う〜〜ん、と思うので、ついついこのかーちゃんにまくしたててしまう。
何?ソレ。だって今日不安定だって連絡帳に書いて子どもを出してるんでしょ? んじゃそこで今日みたいなことが起きるそういう可能性はあるかもって、示唆の連絡は出してるわけでしょ? そうしたらちぃちゃんとこに謝罪してくるのは、現場でソレが防げなかった先生なんじゃないの?かーちゃんじゃなくて。だってそこにいなかったかーちゃんに謝罪しなくちゃいけない理由ってのが、わたしにはわからん。そこにいなかったんだから、この場合、かーちゃんには不可抗力じゃないさ。そのとき家にいたかーちゃんにどうしろって言うのさ。そういう特性がある障害をもつ子ってこと自体の責任で謝罪ってことかい? 謝罪ってことならソレ言う前に、そのことがわかってるはずの現場の教員の謝罪なんじゃないの?
だからね、今日ちぃちゃん見てた先生からわたしは「自分が見ていながら防げなくてすみませんでした」って言われたわけ。家庭で必要だと思われる対処という話ももらった。わたしとしてはそれはそこでもう充分なわけだ。で、今日お宅のお子さんを見てた先生がやるべきことはその場にいなかったかーちゃんに「向こうに謝れ」ではなく、自分が謝れ、だと思うよわたしは。だって側に付いててそれを防げなかったんだから。
他害傾向のある子の親はつらいさ。でもって、重度最重度ならそういう子もいるさ。重度や最重度の知的障害をもつ子がごろごろいるような教育の場にウチみたいな体の小さい子を出すならば、そういうことが起きる可能性だってあるさ。まあ今までだって、突き飛ばされたり突き落とされたり、なんだかんだとはあったけれど。でも、「自分とこの子の障害は理解されたいけど人んちの子の障害は理解しない」、なんてのはケツの穴の小さいことだと思う。
で、そうした他害の当事者のかーちゃんからおずおずと電話がかかってくる度に「アンタが謝ることじゃない!」と思う。かーちゃんに謝らせるような報告をするなら、そういう報告を出すその場にいた人間がこっちに謝罪してこいよ、と思う。
なんでもかんでも母親にもっていくのは、母親がかわいそうだ。と思う。他害の行為は悪いといえば悪いけれど、通り魔じゃないんだから。その子の情報をつかんでいる中で起きる他害は、それはわたしはやっぱり現場責任だと思う。
さあて、どうすっかなー。どうやってこの自分の中に生まれる疑問を打破していくかなーと、現在考え中。いろんなこと、いい形にもっていくためにね。
ちなみにウチのお嬢。自分にとって危険が生まれる可能性のある子に対しては、上手に物理的距離を自分で測って自分にとって安全を確保できる立ち位置を調節する。そういう娘の性格傾向だか特性だかってとこに助けられてることを、もっと先生たちはわかっていて欲しいと思う。娘が相手を憎まないことに自分たちが救われてること、もうちょっと認識してて欲しいよなあとも思う。
今日は背後から、だったそうで。これから娘は背後にも気を配るんだろう。学習能力というものは偉大だとも思う。
先方のかーちゃんには。日常において娘がいかにその子のその他害以外の特性を理解していて、娘なりのつき合い方をしているかという話をする。そういう報告が先方のかーちゃんに全くなされていないことが、悲しいといえば悲しい。娘にとってはね、大事なクラスメートの一人なんだよ。