リツエアクベバ

satomies’s diary

「障害児の父」と、「切り取られる情景」

 「あなたはたった一人でこの子を連れて、外に出ていくわけじゃない」
 な〜んてことを、ダンナに対して内心思ってる母親ってのはいると思う、障害をもつ子の親の中には。生活の中でたいがいは母親が一人で外に連れて出ていくことの方が多いからね。父親が出てくるときは、「父と母と子と」って形態になることが多い。そして「自分一人で障害のある子を外に連れて行く」ということが難しい父親なんてのもまた、存在するというかなんというか。
 で、「自分一人で障害のある子を外に連れて行く」ってことのできる父親、ってものは、やっぱり評価されるべきだと思う。(そんな…。当たり前のことでしょ)な〜んて目くじら立てちゃう母親ってのもいると思う。ま、当たり前っちゃ当たり前ってのも言えるんだけどさ、でもわたしは評価したい。母親が日々頑張ってるのも評価するからさ、と思う。
 だってさ、障害のある子を連れて世間を見る、ってこと、やっている人間とやっていない人間との差、ってのが夫婦間に生まれてしまう場合も少なくない。その夫婦間の差がちょっとでも埋まる経験、ってのはいいことだ。いや何にせよ、理屈じゃなくわたしは評価。
 障害のある子ってのを連れて外に出る、ってときに、たまの一回や二回でなにがわかる、ってこともあるんだと思う。そう、そりゃ何がわかる、って要素が大きい場合もある。でも一回でも二回でも、経験してるのとしてないのって、差はとても大きいと思う。
ハッピーうどんサンデー/セックスなんてくそくらえ
 ああ、一人で連れてったんだあ、と思った。しかも見知らぬ人とすれちがうばかりの街じゃない。地域の、そして市民センター、そして地域行事。そしてそれが、そうした「一人で連れて出る」ってことが全く初めてという感じじゃない。情景の切り取りで(そうかあ)とか思う。
 近所に住む老婆。ああそうそう。年寄りってのにぞっとするほど差別的な人っているのよね。ちょっとした目線、ちょっとした口元。わかってるから、みたいな顔をされるときは、アンタが一番わかってない、なんぞと思うこともあったなあ、と思う。
 その下りに続く、ここ、大好き。

 私はそれを無視して、子供の肩に手を置く。子供の肩はずいぶんと小さい。うどん、うどん、と子供が言った。

 この人ホント、情景の切り取りが上手い。情景を理解し、そしてたった数行をこうやってわたしは眺めて愛でる。普通の言葉で普通じゃない。
 「ノベルスペース・カントラジェディ」ってサイトが以前あったらしい。閲覧できないことを残念に思う。