リツエアクベバ

satomies’s diary

理不尽な責任ではない責任

 ずっと、どうしよっかな〜と思っていたこのトラックバックに関しての反応というもの。
 やっぱりリアクションをしておこうかな、と思って試みる。

基本的には同意です。「知的障害児の他傷行動は、管理者責任です」というのは全くその通りだと思います。ただし、現行制度上ではという条件付きで。
もし、自分が子供を持ってその子供が障害児だったらと考えると、理不尽さを感じずにはいられないでしょう。管理責任を放棄したくなります。こどもが障害を持って生まれたのは、必ずしも親の責任ではないでしょうから。子供の状態によっては、もうギリギリのところまで追い詰められるってこともあるんだろうなぁと思います
理不尽な責任/Kazu'Sの戯言Blog(新館)

 この「現行制度上では」ということが、正直よくわからなかったです。
 うちの娘は障害児の教育現場というところで、以前短期間に数回、相手の突発的な行動により頭を打つという経験をしています。相手の母親から数回謝罪の電話が入りましたが、わたしは「あなたがあやまらなくてもいい」と答えました。それは「場の責任者にその責任がある」ととらえるからです。
 現場からの報告では誰々がどうした、というものでした。わたしはそれはおかしいと疑問を述べました。報告して欲しいことは、その行動が起きるときに現場の態勢と視線はどのようになっていたか。それはどう改善すべきことと考えるか。聞きたいのはそのことです。子どもの障害がわかっている障害児の教育現場であるという時点で、子どもの障害を原因とする報告は疑問である、と。原因は態勢の不備の可能性と予測できなかったことにあるとわたしは思っています、と。学校側は、この点を認め謝罪し態勢を見直し改善し再発の防止を約束し、実際に再発は起きませんでした。
 わたしは障害をもつ子のその行動の全てが、母親の責任だとは思っていません。ただし、母親が連れている場合は、子どもの行動の責任は母親にあると思っています。
 そして行動の責任は母親にある、と。そう、障害をもつ子の母親に言い渡し切り捨てているわけではありません。わたしは障害をもつ子の親に対しての支援活動をずっと続けています。そしてそういう活動を担っている人は、いろいろな形で存在しています。医療の世界にも療育の世界にも教育の世界にも、親の心理というものを支援していこうという意志をもつ方はいらっしゃるとも思います。
 障害があろうとなかろうと、子どもを連れていれば、特に幼児期は、なにかっちゅ〜と周囲にあやまったりすることは多いと思います。そういうものだととらえている母親は多いと思うので、そうではない人がいればその時点で違和感はもつと思います。そこでその理由として子どものもつ障害をもってくるならば、障害という言葉が相手の口をふさぐ道具ではなく、理解できる理由になる方法を身につけていくことも必要なのではないか、とも思います。
 それでも母親と一言で言ってもいろいろな人はいるので、もちろんトラブルは大小言わなければちょこちょこ起きます。それは子どもに障害がなくても、ちょこちょこちょこちょことあることだと思います。
 しかしそういうことに関しての「妻からの報告」のような話って、父親は耳を貸さないことは多いという印象はある。テキトーに聞き流す父親ってのは、まあ多いような印象はある。その印象というのは、母親同士の場で出てくる夫に対しての、愚痴という名で表せる活発な盛り上がりというかなんというか。
 子どもに障害があろうがなかろうが、子どもを育てている中で起きるちょっとしたトラブルに関して、家庭の中で夫がうんざりしたような顔をせずに聞いてくれるということ。このことって、幼児期にはけっこう大事なような気もします。育児という上で、妻に理不尽な責任まで負わせないためにも。