自分が書いたレビューが、他者の読書につながり、その結果の思考が閲覧できる。興味深い体験をさせていただいたことに感謝。
2/24-26日記(初心者JAZZ・自閉症裁判・岩松了)/他人の不幸は蜜の味
この本を、自分が「障害」と無関係な立場だったら、はたして読んだだろうか、と思う。読んだときにどんな感想を持っただろうか、とも思う。多分、思わなかったこと、そして今は思うこと。
娘が生まれ、その告知は先天性の心疾患に関しての方が先で、そのために入院が開始。ダウン症の告知はその後だった。ダウン症の告知をされた日は、娘は昏睡状態に陥り人工呼吸器をつけた日だった。
医師は、ダウン症の告知のタイミングに慎重だった。先天性の心疾患のための状態が安定してから、と、機を待ち、日を選んでいた。しかし医師の思惑に反して症状はどんどん悪化。そんなタイミングでの告知になってしまったという経過。
その日に、娘の状態の説明として医師が言ったことはこんなこと。
「『会わせたい方に会わせてください』、というレベルとはまだ、認識していません」
「ただし、この状態に陥って、わたしたちにいい思い出が少ないことは現実です」
ゆっくりと慎重に告げる言葉の数々。つまりかなりヤバイ、ってこと。この、ダウン症の告知を受けた日にわたしたち夫婦が決めたことは、「心臓の手術後、安定するまで、自分たちの両親にダウン症であることは隠す」こと。
ただでさえ命の危険があるのに、子どもの幸せのために孫の死を望まれちゃかなわん、というのがその動機。それが正しいとか正しくないとかではなく、心情というものはそういうものだろうと判断したのがその動機。
ダウン症であるという事実は確かに衝撃だったけれど、三途の川を渡らせてなるものか、と。そのためのマイナス条件は全て排除したいような、そんな気持ちだった。
ヤバイヤバイ状態で手術。何も知らない祖父母たちは素直に孫の手術台からの生還を祈る。そして状態が安定し、さてそろそろよろしいではないでしょうかねえ、ということで、それぞれがそれぞれの実家に帰り、それぞれ自分の親に自分で告知。
全く気づかず、青天の霹靂だった両親。呆然とした顔で沈黙。母が口を開く。
「何も気づかなかった、ちっともわからなかった。あなたたちはもう、親なんだね。」
そしてふと一冊の本を差し出した。「たまたまね、借りて読んでいたの。読んでごらん。」
そのときの本、この本。命に関わる合併症を持つダウン症の赤ん坊に対して、手術を拒む親と命を救おうとする周囲を描いた「命」を考えるルポルタージュ。
この本の内容に対しての立場、一気に変化させられた母。本の感想は変わったのかどうだったのか。そのことに関してはそういえば聞いてない。
生命(イノチ)かがやく日のために―ルポルタージュ 日本の幸福 (ルポルタージュ日本の幸福)
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