30年前の10月13日、娘が生まれた。ダウン症で先天性の心疾患があった。人生のスタートから療養が始まった。
心臓の手術を終えて、よたよたという感じで少しずつ健康を手にしていったけれど。その発達は遅く、長い時間の中にいた。
30年前の10月23日、女の子の赤ちゃんが生まれた。生まれたことがニュースになり、それから何をしてもいちいちニュースとして映像が出た。
娘がゆっくりと娘の成長を進む中で、テレビがわめく。ほら、この女の子はこんなに成長した。もうこんなことができる、これが子どもの成長なんだよ。
もううるさい。
わかってる、わかってる、わかってる。
娘が「おねえちゃん」になることがわかった頃、その子も「おねえちゃん」になるとニュースが言った。(またかよ)と、ちょっと思った。
10月23日生まれの女の子が、今日、まっすぐ前を見て話した。生まれて初めての、「わたし」を公でまっすぐに語った機会だったのかもしれないと思った。
同じ時期に生まれたことは、もうカレンダーくらいにしか思わない。
でも、ずっと前から知っている女の子が、主体的に生きていく女性になったんだなと思った。