リツエアクベバ

satomies’s diary

「害」について

 生まれた赤ん坊がダウン症である、と告知されたときにどう思うか。あとで仲間内で笑い話になるネタがあります。「見られていく人生が始まるってことは、きれいにしてなきゃ。」
 これはわたしの経験では、たいがい次のツッコミが入ります。「見られてるのは子ども、アンタじゃないって
 まあ、でも、ダウン症児・者を連れている、母親とおぼしき存在の人の外見が、かっこよかったり、きれいだったりすると、(いいなあああああ)と思いますね、実際。やっぱ、きれいにしてよう、っと、じゃなかった、きれいにしていたいと思っていようっと。
 で、記事文中にふれた「じろじろ見られる」ですが。こういうときの当事者であるうちのちぃちゃん、かっこいいのよねえ、いつも。すばらしくおおいなる勘違い。つまり「スター気取り」なわけですわ。今は死語なんでしょうかねえ、「タカビー」ってのは。あんな感じ。ちらっと視線を向けて、本人の気まぐれに応じて手なんか振ったりしますから、まるで皇族のように。

「通してください、娘が中にいるんです!」と叫びちらして、改札をまたいで行ったヤツが改札に戻ります。コトの顛末を眺める観衆の目が、一斉に娘とわたしに注がれます。わたしにとっては「かわいい愛娘」ですが、一般的な印象は明らかに「知的障害者」です。一見して理解できる、コトの顛末です。
すたすたと改札に向かう娘、そしてその後からわたし。
もうね、なんか、成田から出てくる芸能人みたいでしたよ。いや、成田から出てくる芸能人よりも、うちのお嬢の方が堂々としていました。小さな体の背筋を真っ直ぐに、自分に注がれる観衆の目を、一瞬ゆっくりと見回し、そして無視。駅の方は娘には「またげ」といわず、娘に「こちらへ」と言って、隅の通路を開けて通しました。お姫様が、道をあけられるのは当然、といった感じで、駅の方にちょっと笑顔を向けて、悠然と通る娘。

 です、こんな感じ。わたしはこれに、この娘のプライドに助けられてるかもなあ、とも思う。知的障害児ならではの勘違いなのか、支援という「特別なもの」に慣れてきたからなのか、それはわからない。単なる天然かもしれないし。
 ただ、本人に知的な障害が無かったら、本人、つらいだろうなあとは思いますね。