リツエアクベバ

satomies’s diary

母校

娘が中高6年間通った特別支援学校の学校祭に行った。

学校までの通学ルートの坂道を、娘がシャキシャキ歩く。横断歩道をしっかり渡る。娘が育った時間と「道」を思い出して懐かしくなる。校門のところで同級生親子に再会。

学校に入って受付。記名欄に娘が誇らしげに自分の名前を書く。

構内展示作品を見ながら、作品を生み出す土壌を作る教員の工夫を感じたり。集団で作る切り絵が素晴らしかった。

各作業班での販売。生徒さんたちが「いらっしゃいませ」と声を張り上げる。各作業班でいろいろ買い物。
「ちぃちゃん、どれが欲しい?」
娘が決め、娘がお金を生徒さんに渡して生徒さんから娘におつりが渡される。それだけのことなんだけど、双方が社会を学習。

手芸班でさをり織りのシュシュとミシン縫いの巾着袋を買う。プリント班でステンシルのTシャツを買う。農園芸班でハイドロカルチャーを買い、陶芸班で小皿を買う。工芸班で革の小銭入れ。木工は買わなかったなあ。

保護者が運営のコーナーで、魚釣りとボウリングのゲームをして、バザーで小物を買う。出店の作業所のお菓子を買っておかあさんはゴキゲン。

卒業して10年。普通は知ってる教員などいないはず。ところがどっこい、あちこちにいる。かつての教員が管理職で迎えてくれたり、再異動で戻ってきていたり。定年退職後の再任用とか。

ダウン症の赤ちゃんのママのフォローを長年やってきたご褒美のように、会場のあちこちで若いママたちに声をかけてもらえる。

「生まれた赤ちゃんがダウン症であることが受け入れられない」と、電話口で泣いていたママがいた。うんうんと気持ちをそのまま聞いていたら、電話の向こうで豆腐屋の笛の音が聞こえて。そうしたらそのママが突然「ちょっと待ってくださいね」と言ってから、赤ちゃんのパパに叫んだ「お豆腐買ってきて!」。
なんかもう笑っちゃって笑っちゃって。わたしが笑って、ママも笑った。そのお豆腐やさん、とても美味しいんだそうだ。そして数ヶ月後にそのママが「赤ちゃんがかわいくてたまらない」。まあダウン症あるあるなこと。

その赤ちゃん、もう高1だそうだ。16年も経ったのだなぁとしみじみ。

先生にも、同級生親子にも、馴染みの他学年卒業生にも会えて、楽しい一日でございました。
校長に会えなかったから、近いうちにお手紙出しておこうかなと思う。

病院

今日は娘の病院。年一回のダウン症健診。病院行って診察の手続きしたら、予約した医師と違う名前の医師の診察になってた。あれ?と思い、スマホで病院情報を検索。予約した医師の診察スケジュールが変わってた。待ってる間に今日の医師の情報を検索。難病の論文くらいしか出てこない。

いつもの医師は親分的立場と年齢。今日の医師は若かった。30代かな。丁寧によく話を聞いてくれて感じがよかった。

来年の予定を、と。スケジュールが変わったけど元の医師での予約がいいか聞いてくる。あのドクターは忙しいのだがと言いながら。

金曜日の午後はあなたなのかと尋ねると、そうだと答える。では金曜日の午後に、と来年の予約を入れる。役所の書類の主治医の欄の名前を代えてもいいのかなと思う。

以前の親分的医師には非常にお世話になった。町医者では手に余る状態の体調に、丁寧に対処していただいたことがあった。循環器科の医師がリスペクトしていた。
でも、今のうちの娘は状態は悪くない。親分は親分を必要としている人に時間を使って欲しい。

採血を3年やってないから調べたい、と、今日の医師は言う。甲状腺の検査を定期的にやっていて、そういえば今年は採血の年だったように思うが予約時に採血のオーダーは入ってなかった。調子が悪くなかったからかな。でも、それでは今日お願いしますと答える。

今日は娘に採血があると言わなかった。怖がるだろうかと思いながら医師の前で「ちぃちゃん、今日これからお注射だ」と言う。医師の前で張り切った声で娘が返事をする。「大丈夫そうですね」と医師が言う。いやこれ、けっこうなハッタリだと母は思う。

甲状腺を調べるのだけれど。内分泌系の検査のオーダーを出す。何かあったら内分泌系に回すと医師が言う。せっかく血をとるなら検査網羅はありがたいなと思う。

検査室に行き。怖がるからそばにいると看護師さんに言う。誰が怖がっているのか?と思われるほど娘は張り切った声を出す。母は心配だけれど、弱虫なので採血自体を直視できない。

娘がおおっ!と声を上げる。採血見られないのに娘の声で思わず見る。いや、採ってる血の量、多いわ!と思う。
もう。がんばったので今日はご褒美に回転寿し。

ゴッホの映画

昨日、ゴッホの映画を観てきた。午前中のパートを終え速攻で桜木町へ行き、上映後また速攻で帰った。文字通り映画のための外出。

ゴッホの絵が好きだ。夜のカフェテラスとか星月夜とかの有名どころも好きだけれど、ひまわりじゃない花の絵も好きだ。何がどうとかわからない。独特の黄色っぽい感じも好きだ。
lPhoneは猫の顔の写真で開き、自然の中の猫の写真を見ながらアプリを開く。iPadゴッホの絵で開き、ゴッホの絵の上でアプリを操作する。電子書籍で画集を買ったからいろいろ替えられる。

昨日の水曜は動けそうだったから行こうと思った。たぶんこの日以外無理だと思った。上映館も少ない。封切り第1週目じゃないと上映時間も限られてくるだろうと思って急いだ。

神奈川での上映館は6箇所しかなかった。13時40分からの上映回を11時頃にネットで席を抑えた。このタイミングで席の半分は埋まってた。桜木町にある横浜ブルク13というシネコンで一番小さいシアターで、座席数は87しかない。入ってみて驚いたが満席だった。平日真昼間の上映回で両隣にきっちり人が座っているのは、初めての経験だった。レディースデーだからか?いや男性もいっぱいいたし。ああシニア料金だとレディースデーは関係ないのか。単独の客も多かった。

映画を観るときはたいがい一人で行く。ポップコーンのカップを抱えながら観るのもいつものことなんだけれど。単独大真面目みたいな人が両隣にきっちり座っていて、ポップコーン食べるのが不謹慎みたいでそうっとそうっと食べた。

ピアノの音楽がなり続け、セリフも無い、ゴッホと自然だけの映像のシーンが冒頭に多く。右のほうからオヤジのイビキが聞こえてきてうるさかった。うるさかったけど、少し理解できる。カメラワークが酔いそうになるし、集中力が欠けると一気に眠くなりそうではあった。要するに、ゴッホが好きじゃないと厳しいと思う。あのイビキの人がどうなのかはわからないけど。

「人生は種蒔き」「収穫期ではない」「生まれてくるのが早かったのか」
後半でゴッホがこうした話をするシーンではらはらと涙が溢れ、そんな自分に少し驚いた。「あなたの絵は不愉快だ」「あなたの絵は醜い」こんな言葉の中でひたすらひたすら絵を描き続けて。死んでからの展開は本人にはわからない。でも、本人自身が肯定できていた部分もあったのかもしれない、という視点にわたしが助けられたような気がした。

しかしなんだな、と思う。両隣きっちりとで、なんか泣いたのバレたくないわな。

自然の風景が、という話だったから映画館で見なくちゃと思ったけれど。あとでまたDVDでゆっくり観たい。予想通り、来週は桜木町の映画館では日中の上映は無し。急いで行ってよかった。

gaga.ne.jp

22回目

猫が死んで22回目の水曜日。今日も水曜日のネコを飲む。

家の中に動物がいない生活は、きれいで。そして油断できる。汚されもせず、いたずらもされない。
ああ、もうここで用心しなくていいんだ、と、日常的に何度も思う。

そうやって、でも。水曜日と木曜日の色が確実に薄れていく。

ノンホールピアス

ピアスにコンプレックスがある。

耳に穴をあけたかった。日常的に耳になんか小さなキラキラをつけたかった。できなかった。耳たぶが厚い。そこに穴をあけるとか怖い。あけた穴になんか通すとか怖い。できないし、怖くて。金運とか、どうなんだ。金運下がっても若けりゃ取り返せるが、もう後がない。

でも、あけたかったなあと思う。だからピアスにコンプレックスがある。

今日、娘の事業所に行く用事があった。織物の製品をついでに物色。さをり織りの小物をちょこちょこと買っておく。ポーチなどの小物はちょっとしたプレゼントによく使う。

さをり織りの小物の製品に「さをり織りのピアス」がある。職員さんに「新製品だ」と見せられた時に「わたしはピアスをしてないからいい」と言った。ほらほらと職員さんが自分の耳にさがるその製品をわたしに見せ、わたしはそれがまぶしかった。

「わたしはピアスをしてないから」と言うと職員さんが「だいじょうぶ、ノンホールのタイプも作ったから」と言った。ノンホール?わたしは首を振って、いい、と言った。わたしはピアスにあこがれながら、怖がって逃げたから。だからそうっとこの話題から逃げた。

それが去年のこと。今日、娘の事業所に行った。ノンホールのタイプとかいうものをじっくりと見た。透明な樹脂で耳たぶをはさむ。透明だから金具が目立たないイヤリングということか。
ふむふむとか思いながら、ポーチなどの小物にそうっと加えて買った。

耳につけてみる。どきどき。えっと。なんか、いいんじゃない?これ。こんなものがあるのか、あるんだ。ミンネとかamazonとかに「ノンホールピアス」と入れてにこにこ。

ブログで書く日記

ブログで日記を書き始めたのは2004年。最初から決めているのは、誰かに見られて困ることは書かないこと。

日記として書くときに。その日の人間関係でトラブルがあったり、自分がネガティブな思いを抱え込んだりした時は。なんというか、非常に頭を使って書き残す。その相手に見られてもうしろめたくも恥ずかしくもない姿勢で、なおかつ自分の思いを書き留めておく作業になる。

何を意地になっているんだ、とか、かっこつけんな、とか、みたいなもんだが。わたし自身のバランス感覚みたいなものだと思う。

という線を、あらためて確認したような今日。何年か経ってわたしがこれを再読したときに、今日何があったかわかるかしら。

わからなかったらそれでいいよ、たいしたことはない。誰がどうとかではなく、夫や息子に笑い話にしてガス抜きをしたようなことがあった日。

枇杷の木

夫が今日「向こうの家の枇杷の木を切ってくる」と言って、実家に行った。

夫の実家の前の畑の、その隅に大きな枇杷の木があった。手入れも何もしていなかったので、どんどん伸びた大きな木だった。何メートルくらいあるんだろう、大きな大きな木で。びっしり実をつけても、高いところは取りきれなかった。種ばかりの実の種を根気よく取り除き、よくジャムを作った。おととしくらいから急にタイワンリスが急増して、全部食べられてしまっていたのだけれど。大きな木にびっしりとオレンジ色の実がなっているのはきれいだった。

夫が切った枇杷の木を見に行った。無惨な姿で泣きそうになった。

義妹が「仕方ないんだよ」と言った。夫が手を入れる以前に、そもそももう前の姿ではなかった。太い枝が何本も折れ、倒れかかっていた。その、折れた枝が危なくなってるから夫が切った。切ったら枝も葉も無くなって無惨になった。

二度の台風で、特に二度目の台風が致命傷になった。「今年の台風は、本当に大変だったんだね」としみじみと言い合った。

夫の実家を見下ろすような位置に、上の道から降りてくる階段がある。4月の中旬頃は、この階段の中腹くらいに「咲き始めた花桃と、咲き終わりの山桜」を一緒に写真に撮れる位置がある。このアングルはとても美しい。よく写真を撮っている人を見かけたりした。

花桃の枝は半分は折れた。その位置から見える隣の敷地の山桜は壊滅的だ。枇杷の木は幹と枝だけになった。

次の春はどんな景色になるんだろう。花桃は半分の枝は残った。枇杷は木は生きていると夫は言う。みんながんばれ、それぞれの再生を信じたい。