リツエアクベバ

satomies’s diary

夏休み

日中、あちこちで子どもの姿を見る。よく見るのは外や公園ではなく、テナントビルやスーパーだ。猛暑の外は危ないね。子どもの夏休みはもう半ばに差し掛かるのか。

障害者の福祉就労の場の夏休みは、その事業所によってまちまちだ。グループホームとの兼ね合いとかで、夏休みの日数は少なくなってきているように思う。休みが長いと日中支援に支障が出るということらしい。
一斉休みではなく、職員も利用者も順番に休むところもあるそうだ。

娘のところは夏休みに入った。娘のために朝からエアコンを効かせる。
こちらが汗流して家事に動き回るなか、ふんわりのんびり好きなことをしている。

「親が障害がある子どものために、あちこちあれこれ予定を作るのは素晴らしいとか思うだろうが。
家にいられる力を育てるのも大切なこと」

これは娘が小さいときに、いわゆる先輩おかあさんから聞いたことだけれど。いやかなり真理なんではないかと思う。
常に常に支援付きで予定てんこ盛りでなくてはならない生活というのは、それはそれで大変だなと思う。
支援なしで気を使わずに、自宅自室の自分でいられる力は大切だなと思う。

障害児母お局としては。
最近の児童デイ流行りはなんともはあ、と思う。
誰かが動かす時間の中にいることが多い育ち方をするというのは、別の力を育てることにマイナスに働くのではないのかなとか、そんなこと。

まあ時代の中で、試行錯誤しながらまた時代に合った道があるんだろう。
どちらにせよ、サービスが進むのは欲しい人に手が届くということで喜ぶべきことであるのはまちがいない。

8回目

猫が死んで8回目の水曜日。今日も水曜日のネコを飲む。

毎日驚くほど暑い。外出して戻ると室内の不快度は高い。
無理だったんだな。と思う。
あの猫にこの夏は無理だったんだな。

わかりきったことを繰り返し繰り返し思う。ただこの繰り返しをまだまだやめてしまいたくない自分がいると思う。

それでもうっすらと、自分の中に慣れというフィルムがかかり始めた。
そのことに抵抗するように、猫の骨におはよういってきますただいまおやすみ、と日々言い続ける。

8月6日

8月6日。
人類史上最も悲惨な、人が人を殺す科学が実行された日。
しかし、人間の数だけまた別のストーリーがある365日の中のひとつでもある。


8月6日


2019年のわたしの8月6日は。
午前中髪を染め、午後には舅の病院へ。

面会中に「副院長回診」というのがあった。年寄りに上から目線の話し方をする男が「〇〇ねー」みたいな話し方をする。
わたしはああいう尊厳を感じられない話し方が大嫌いだ。と、改めて思う。
患者の家族かみたいなチラ見をされ、丁寧に頭を下げるこっちに当然のような顔をする。
あー感じ悪い、と思いながらちゃんと期待通りに丁重に頭を下げてやる。これが社会のルールだ。

舅は悪くはないがよくもない。先はまだまだ見えない。

親の年

息子が「おとうさんが年をとった」と言う

いやさ、あのさ。
自分の成長に夢中で、親が年を取るなんて気付かない時期は長くてさ。
ある日突然、気づく時が来るんだよ。
アンタもそういう年齢になったってことだ。

と、答えながら。
こいつはわたしに関しても、そんな目線を向けてるんだろうと思う。

ふー。
まあ時間は平等だからな。

おかあさん助けて

舅の病院に面会に行く。点滴が続くが昨日から酸素マスクはなくなる。食事はまだだが今日はリハビリがあったそうだ。軽く廊下を歩く程度。日中活動の時間をつくるということか。

以前入院した病院もそうだったが、ここはいわゆる老人病院ではない的な記載がある。治療対象の疾患が治癒または改善したらお引き取りもしくは転院よろしくね、的なこと。
それでも今までの病院も今回も病棟には老人ばかりで、超高齢化社会を実感する。

別の病室からなにやら叫び声が聞こえるようなことも、なんとなくあるあるネタのようにもう慣れた。小児病棟で泣き声が聞こえるようなものかと。

今日はずっと「おかあさん助けて」という叫び声が響いていた。「おかあさん、たすけてえ」「おかあさん、たすけてえ」。この病室に舅が運ばれてから毎日のことのようだ。

「おかあさん、助けてえ」「おかあさん、助けてえ」
舅と義姉や義妹と話しながら、聞こえてくるこの叫び声に思っていたこと。いいおかあさんだったんだろうな。助けてくれるおかあさんだったんだろうな。
うちの子たちは「助けて」って、わたしを呼んでくれるのかなあ。とか、思いながら聞いてた。助けてはあげられないのだけれどね。そんな頃はどうせとっくに死んでいるしね。

危機脱出

昨日救急車で運ばれて「危険」ワード出た舅、危機脱出のもよう。
落ちた酸素濃度も落ち着き、熱も下がってきた。

今回の教訓。90代ともなれば、急に一気に体調が悪化することがある。
素早い対応が命をつなぐ。
あとは舅自身の基礎体力なんだろうな。

また入院

舅、また入院。

早朝は特になんでもなかった。セキはしていた、だったっけ。気持ち悪いと言ってた、だったっけかな。で、9時近くのタイミングでガタガタと震えていたと。検温39度後半。ゼロゼロ音が胸から聞こえる。
はい、すみません、救急車お願いします。

血中酸素の濃度を救急車内ではかる。よくない。以前入院した病院では対応が難しい。ということで、行ったことない新しい病院に運ばれた。

処置をしても酸素濃度が上がらない。状態がよくない。危険というワードが出る。「家族に連絡した方がいいですか?」質問に対して医者イエス
義姉方の姪っ子が二人病院に駆けつける。九州の義妹が夜の飛行機で来ることに。

夕方、落ち着く。義妹と話す。「急だった。突然だ」わかるわかるわかる。わたしは一昨日、皮膚科受診の待合室で舅と話しながら(今年はばたばたと入院を2度もして。なんだかんだあったけど落ち着いたよなあ)としみじみしてた。しみじみするほどごくごく普通で、なんでもなかった。

夜、夫が病院に。舅は起きていて話をした。熱は下がっていた。思ってたより落ち着いていて、少し安心したとのこと。義妹「このまま落ち着いてくれるといいんだけど」わたし「まじそれ」。と、LINE会話。

息子からLINE。「残業後、飲んで帰る」。飲んで帰るはいいが、オールや泊まりやめといてくれと返事する。明日の早朝とか午前中に何かあったら行方不明困る。
これこれこうだと理由を送ると「帰った方がいいか」。いや落ち着いてるし飲むのはかまわんと返す。

病院側が、高齢の入院はボケが進むと。いや、前回もそんな説明から始まり、日常が戻った。今回もそんな流れで行って欲しい。
など義妹と話しつつ。時計はゆっくりと動いていくのを感じる。怖い。