リツエアクベバ

satomies’s diary

BUMPのニューアルバム

さて。この12月は3年ぶりにBUMPの新しいアルバムが出まして。もうワクワクで発売日を待つ毎日でございました。
しかし。家から一番近くの新星堂は数ヶ月前に無くなってしまった。ちょこちょこ行ってた店はもっと前に無くなってしまった。もっともっと前にレンタル店に併設していたとこも無くなってしまった。つまり「お手軽に予約に行ったり買いに行ったりできる店が近所に無い」という、CD販売ががた落ちという事実が我が家の環境に忍び寄っていたわけです。
で。今回はアマゾンにて予約で購入。今、けっこう後悔しているのは(やっぱりお店で買いたかったな)ということ。あの、なんかこう、「出ましたよ!」というディスプレイに山積みになっているのを取ってレジに行きたかったな、と思う。
New Album「COSMONAUT」今回のアルバム「COSMONAUT」。きゅん、とする。流れるメロディの中のある言葉がこちらの心の中の映像とぽんとリンクして、きゅんとする。その連続みたいなアルバムだった。渡された言葉のイメージを、聴く人間が立体化していく。それは聴く人間の自由に委ねられていて、そしてその作業には「きゅん」が伴っているんだとか、そんな感じ。作り手が30代になることで今までを振り返って過去の映像を言葉にのせていってということなんだそうだけれど、アンタたちよりいっぱい生きてる分、その「きゅん」はもっともっとこっちは来るわよ、と思う。
息子の部活の友人は「BUMPはオレの酸素だ」と言うそうだ。それを聞いて「あら、アンタは『BUMPは空気』のような環境で育てられちゃってるわよね」と息子に言った。「今の高一なんて年齢の子がBUMPを知らんだろう時期から、アンタはずっとBUMPを聞かされてるじゃない」、と。小学生の頃から「車に乗れば聞かされ続けてきた音楽」が今、「聞かされる」のではなく「聞く」音楽となって彼のiPhoneに入ってる。
今、「オレの酸素だ」なんだと言う子たちは若い子たちだと思う。いろいろ感想ブログを渡り歩いてはみたのだけれど「今回は買うのが怖かった」という言葉を漏らす古いファンの文章がいくつもあった。「jupiter」以前からのファンが「orbital period」で一区切りのようなものを感じ、その次の世界に自分はどう思うのかと。それを知ってしまう瞬間が怖かった、というようなことのようだった。そして、わたしが読んだそのいくつかはみな、今回のアルバムは素晴らしいと結んでた。うん、今回のアルバムは、なんつーか、そういうアルバムだとも思う。
息子が中学に入って初めての運動会で、徒競走のBGMは「sailingday」だった。わお、と興奮しているわたしだったけれど、周囲のかーちゃん連中の大半はBUMPなんぞ知らなかった。「花の名」からはオバチャン層でも少しは知っている人は増えてうれしい。「魔法の料理 〜君から君へ〜」がみんなのうたに流れて、いいよね、という人が増えて、やっぱりそれもうれしい。
家では台所でBUMPが響き、テレビでは撮り貯めたBUMPの特集番組(ケーブルテレビ)を流し続け、車でももちろんBUMPというヘビロテ状態がやっと一段落してきたところ。いや、わたし、やっぱ好き、ですね、BUMP OF CHICKEN