リツエアクベバ

satomies’s diary

息子に話す

 今日、娘の特別支援学校で高等部の土曜参観。夫は仕事に行く日、息子は部活が無い日。どうする?午前中だけ行ってくるけど留守番してる?いっしょに来る?と聞くと「いっしょに行く」と答える。なんだかなんだかんだ顔を出す弟だよ、と思う。こんなにちょこちょこ学校に顔を出す「もう大きいきょうだい」はあんまりいないよな、と思いながら。でも何気なく二度聞いたけれど二度とも「行く」というので連れて行く。
 参観は体育と個別課題と作業。作業ではミシン縫いをこなす。作業の先生がやたらにほめてくださるんだけれど、ミシンの指導で先生が娘を信頼している指導に頭が下がる。息子も「すげえ」と感嘆。「姉」にというより指導の先生に対して。
 帰りに車の中でおとうさんの誕生日の話をしながら。おとうさん50歳になるんだよ、なんかすげえなあとわたしが言う。「あと50年か」と息子が答える。おいおいおい…。
 あのさ、もう50年も生きないよ。おとうさんも、それからわたしだって、これから先もう50年も生きちゃいないよ。あと30年いければそりゃすげえよってとこだと思うよ、と。
 それとさ。突然でかい病気になってしまったのだったら、30年だって約束できない。まあおかあさんはちぃちゃんいるから頑張るけどね。でもやっぱりなんだかんだアンタにもかかってくることはあると思う。
 あのさ。面倒かけない世話かけない、って言い続けたとしても。それでもちぃちゃんが大人になったときの線をちゃんと引けないで突然死んじまったら、そりゃ「世話かけないって言ったじゃないか」なんて言ったって、どうにもならんことにはなってくると思う、身内だしね。だからあと数年でちぃちゃん二十歳になった頃から、ちぃちゃんが大人として生きていく線は必ずちゃんと引いていくから。障害基礎年金とか自立支援法の使い方とか、そういうこと、わかっていることはちゃんと話していくよ。アンタが実際どうのってことではなくて、ちぃちゃんに対して動く福祉の制度に対して、動かし方利用の仕方ってのの線を引いていかなくちゃいけないと思う。それと。プッシュの仕方とかってのも必要になっていくときもあるんだろう。
 なんてことを話しながら。あのさ、昨日おかあさんが新聞ひっくり返したりネットでニュースの検索かけてたりしてたじゃない? 相模原ってとこであるおかあさんが子どもを二人殺してしまったんだよ。わたしは。死ななくても、殺さなくてもよかったポイントが絶対どこかにあるような気がするんだよ。福祉に対してあきらめない、って、そういう強い気持ちってのも必要な気がするんだけど、その気持ちってものを持つこと自体もうできなくなってしまったんだろうなあ、って思うんだよ。
 そこをどこかで助けられなかったのかと思うんだよ。くやしいねえ、くやしいねえ、って言いながら。なんだかちょっと泣けてきそうになった。いやわたしは泣いてはいられないんだろう。コイツに見せていける姿は福祉に対してあきらめない気持ちなのかもしれない、と。それがもしかしたらというかかなり高い確率で、娘を残してそして「一人の身内として」娘のそばに残していく息子に対して渡していけるものなのかもしれない。と思った。
 「面倒をかけないと百回言われるよりも、上手に引き継いでいける線を親が生きているうちに引いて欲しい」。これはきょうだいの会を運営する方の言葉。7年だか8年だか前に聞いたこの言葉が、わたしの中で生き続けているなあと思う。世話をさせるために下の子を生んだわけじゃない。でも。障害をもつ子をきょうだいにもって生まれた息子に対して、それが渡していける愛情のひとつの形なんではないかとも思う。