リツエアクベバ

satomies’s diary

寒いけど快調

気温が下がってはいるけれど、娘、快調。一度体調下がって持ち直したから、逆に気温の変化に強くなっているような感じ。
先週くたっとしてたので、欠席等はさんだけれど、結局発熱せずゆっくりと治った。この人、一度発熱したりするととにかくその後の復活まで時間がかかる。今回はなんだかんだ言いつつ、短期間で済んだなあという感じ。
体調持ち直して快調になると、かーちゃんと遊んでくれない。体調下がってくるとなんだかんだ言ってて不安になるのか甘えたくなるのか、ちょこちょこと母をかまってくれる。ねえちぃちゃん遊ぼうよ〜おかあさんと遊んでよ〜ってのにちらっと一瞥が出たら、まあ恢復したと喜ばなきゃいけないんだろうけどつまんない。
つまんないからなんだかんだとかまう。うるさそうな顔されながらも、未練たっぷりにかまい続ける。そうやってかまっていると息子が走ってきて便乗する。なんだこら。要するに、おかあさんはちぃちゃんばっかりかまってるってことになるらしい。
娘と息子と三歳違いではあるけれど。娘の方にやっぱり手はかかるから息子に「頼むね、お願いね」と言いながら育てたとこは普通の家の「弟」よりははるかに多かったのだけれど。そのあたりからの影響もあって、こんなにでっかくはなっても「ちぃちゃんばっかりかまう」アンテナは、まだまだぴくぴくと動くらしい。
とは言っても、息子をかまうのもまだまだかなりおもしろいので、二人でくだらんことを言い合いながらきゃらきゃらとふざけあっていると、今度は娘が走ってくる。なんだ二人でずいぶん楽しそうではないか便乗どかんという感じで。便乗どかん。ジャンプしてダイブしてくるとさすがに悲鳴。アンタはチビだけど重いんだから、弾丸だよ弾丸。
そうやってだらだらと三人でうひゃうひゃうひょうひょと遊んでいると、結局のとこおもしろくて仕方がない。人んちよりずいぶん幼い状態にはなっちまうんだけど、まあおもしろいからいいかと思う。
「ちぃちゃんが元気になったら、遊んでくれなくてつまんない」と娘の学校のかーちゃん仲間内で言うと、小学部のかーちゃんが「何して遊ぶんですか?」と聞いてくる。「何して遊ぶ」なんて高尚なことは何もやっていず、繰り返し繰り返された決まった言葉のキャッチボールみたいなのが中心。なんとかだねー、なんとかだよーと、はっきり言ってしまえばそんなもん。それが出れば笑いを取るのはお約束です的つまらんギャグのようなもの。他者からみればおもしろくもなんともないようなこと、幼児の繰り返し絵本みたいな要素かもしれない。
娘はヘキサゴンのCDがめちゃめちゃ好き。10月に出たアルバムをうちほど繰り返し繰り返し回しまくってる家もそう無いんじゃないと思うくらい。ヘキサゴンファミリーのアルバムなんだけど、娘はこのアルバムを「ちゅうちちん」と言う。誰が何を歌おうと結局は羞恥心の人気が裏付けされているんだということが娘のこの「ちゅうちちん」でよくわかる。全曲好んで聞いていて、歌詞もすっかり(実際の単語と比べれば不正確ながら)覚えているのだけれど、その中で。らくだらくだらくだー、と歌うと、娘が「かっぱ」と言う。なんてことはないフレーズを何度も繰り返して歌って、その度に娘が「かっぱ」と言う。「かっぱ」と言って頭の皿をたたくマネをしたりする。「らくだらくだらくだー」「かっぱ」「らくだらくだらくだー」「かっぱ」。「らくだになったら」と言えば二色の言い方で叫ぶ「たいへんだー」。
いやごめんねそれだけよ、そんなもんよ実態は、ってとこなんだけど。たかだか二歳児か三歳児とやってるようなことかもしれないんだけど、ひたすら繰り返してきゃっきゃと笑っているとホントにしあわせで。まあな、わたしのしあわせなんてものはそんな安いもんかもしれないけど、でもうふふと思う。
そんなことやってうふふと楽しんでそれを繰り返して、なんてことをふわふわと楽しくて楽しくて、って思う思い続けるおもしろさみたいなことはこの子のダウン症の告知の時期にはちっとも知らなかった。ただひたすら空が晴れるとうれしかった。お日様の下のしあわせってことを望むことで、不安の暗雲に対抗しようとしていたのかもしれない。わからないけどね。でもまあ今は、お日様の下だね。