リツエアクベバ

satomies’s diary

1月3日

箱根駅伝を見ながら雑煮。昨日一昨日は夫の家の雑煮。今日はわたしの家の雑煮。

夫の家は、鰹出汁、大根、油揚げ、里芋、小松菜。味付けは味噌と醤油。元々は肉は入らないが、それではつまらんと鶏肉を入れる。
わたしの家は、鮭、大根、人参、牛蒡、里芋、ネギ。蒲鉾やイクラも入れるが、無いので入れない。味付けは醤油と塩。

息子が自分のうちに帰る。いつもマンションまで車で送るが、今日はたいして荷物は無かろう。アンタが家を出たら、わたしたちは初詣に行くぞと。じゃね、体に気をつけて。と言って送り出す。

元旦に母のところに行った時に、母が息子に「ご実家はどう?」と聞いた。「実家」というワードを孫が使うのかうふふ感もあったと思う。これに対して息子が「ゆっくりさせてもらっています」と答える。ふうんそうかと思う。まあ、なんでもやらなきゃならん生活だよなと当たり前のことをふと思う。

午後から初詣。鎌倉は混みそうなので平塚に行く。人はいるが、混雑というほどでもなかった。鯛焼きが美味かった。

ついでに飲んで帰りたいと、あちこちのぞく。知らん街なので最寄駅に戻る。どこも「予約でいっぱいだ」とか、「席がない」とか言われる。まだ5時過ぎ。営業している店がまだ少ない上に、ゆとり持たせて客を入れているというのもありそう。
「食べるものはいっぱいあるから」と言って、家に帰る。まだ酒も肉も魚もある。
家でゆったりと日本酒を飲む。山形県の酒なのに、熊本城復興支援の酒。

www.sakaya-kurihara.jp

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1月2日

のったらと朝寝坊。起きてから箱根駅伝をテレビで見る。

今日は車を使わないからと、雑煮を食べるところからちびちびと日本酒を飲み始める。

錦玉子だの伊達巻だの黒豆だの、おせちには変に甘ったるいものが多い。この変な甘ったるさに、なんでこんなものが美味いものかと長いこと思っていたなと思う。
ああ、そうかと。この甘さは日本酒をちびちび飲むのに、妙に合う。

若い男の子たちが走っていくのを眺めながら、ぐずぐずと飲み、正月。
片付けてコーヒーを飲みながら、まだ駅伝。ゴールテープを見てから、近所を散策しながら買い物に出る。

イオンのタオルの詰め放題、今年のタオルは質が悪い。残念。

元旦

お雑煮を食べて、母のところに行く。
電車は、すいてはいないが混んでもいない。いい天気だが、寒い。

なんだかんだしゃべりながら、酒を飲む。黒豆、柿なます、カニ、エビ、伊達巻、蒲鉾。正月だ。

夕刻、寿司を食べながらまた酒を飲む。正月だ。

数日でまた日常が始まる。でもまだ数日、だらだらと酒を飲みたい。正月だ。

大晦日

2021年が終わる。
過ぎてしまえば過去で。過去になっていくことにぽかんとするが。
でも2021年、わたしは確実に死ぬ覚悟をした。

死ぬとは言わないが、死なないとは言えない。ただ最善の治療をする。その最善の治療をするために、あなたは昏睡する。

この説明で、「目覚めるかどうかわからないまま、目をつぷる」というのは死ぬ覚悟だろうと。

そしてそれが全て過去になり、わたしはぽかんとする。
そうやって過去になっていくことをながめるのもまた、生きていくということなのだろうと思う。

いつかくる大地震よりも、実は確実に「死ぬ日」がくる。当たり前のことを知った2021年だった。

そうやってまた、新しい年を生きる。

投げ売りライト

冬至も過ぎ、クリスマスも終わったのにライト買った。安い。

item.rakuten.co.jp

ソーラーで電源要らない。箱に入っているだけで、説明書も無い状態で来た。あやし過ぎる。

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しかし光る。今日天気のいい陽射しを受けてしっかり充電されたようで、ずっと光っている。楽しい。

看護師さんへ年賀状

コロナ病棟の看護師さんに出す年賀状を作った。娘が書いた「おめでとう」の文字と、わたしたちの写真を貼った。

令和三年の四月、大変お世話になりました。ひとつひとつのお心、言葉かけ、全て胸に残り続けています。
皆様の一層のご活躍とご多幸、ご健康を心よりお祈り申し上げます。

コロナ病棟は存在はしているかもしれないが、市内の新規感染者が一桁がずっと続く中で当時のスタッフはもうあの病棟にはいないだろうと思う。
入院時の書類に、担当者としてフルネームがあった。病院住所でその方宛にした。
大きな病院でスタッフも多い、病院内でハガキが迷子にならないように、病院住所コロナ病棟で担当者宛にした。

この、書類に書かれた担当者はわたしと夫が同じ人、娘が違う人だったが、お二人ともありがたい存在だった。

プリントしている時に、そうだと思って主治医の分も準備した。非常によくしてくれた医師だったのに、看護師さん宛てが「主」になり医師が次になったのは、やはり「直接世話をしてくれた人への思いの大きさ」だと思う。
がっちりと防護体制での看護、そのことの意味の重さや大きさは、病棟を出ると本当によくわかる。

しかしあれだね、感謝を伝える手紙というものは、ラブレターみたいかものかもなと思う。

機器と思い出

息子が Apple Watchの設定をしたかと聞いてきたので、画面を捜査する動画をLINEで送った。

最初にすこしもたついて、そして初めてiPhoneを設定したときのもたつきを思い出した。
息子の高校受験が終わったら、携帯を新しくしてやる約束をしていて。ガラケーが一般的な時期に、iPhoneの3gsを契約した。

息子はびっくりして、「いいの?」とわたしに聞いた。いやこっちのほうが安いんだよと、SoftBankiPhone推しの料金設定と導入したての学割との組み合わせの契約最強だと伝えた。

でも、よくわからん機器だったので、わたしはいっしょにそのとき、iPodtouchを買った。いろいろ懐かしい。あのとき息子はまだ15歳だった。