リツエアクベバ

satomies’s diary

自己嫌悪

情けないなあと思うこと、あり。
切ない、辛い。
ただ、時間を戻しても同じことをやると思う。

完全にはなれないし、情けない自分も背負っていかなきゃならないね。
これからどんどん年をとり、人間が退化していく。
許せない自分も、もっと増えるだろう。

それでも歩いていかなきゃな。
生きていくって、そういうことだな。

広告に釣られる

はてなダイアリーを登録したときは、広告が表示されないブログサービスだった。はてなもいろいろ変わったね。アフィリ目的の巡回営業ユーザーとかにうんざりするのは、過去のはてなのイメージがあるからだろうと思う。

コンテンツがはっきりしている人のブログでは、けっこう積極的に広告踏むこともある、要は投げ銭みたいなもの。内容が主であるからこその、というところ。
ブログで小遣い稼げるんだって、やってみるか的なものとは格が違うと思う。

まあ、普通に日記を残しているだけの自分の領域にも広告は表示される。この広告をひらくとはてなに収益が入る仕組みなのかな。

Googleの仕組みなのか、自分で検索かけたことがある趣のものが表示されることは多いが。たまに見たことがない、でも「こういうのアンタ好きなんじゃない?」に見事に釣られるときがある。

昨日のそうした広告にまんまと釣られ。サイトでしげしげと眺めたりするものだから、自分の日記開くだけでまたその商品とご対面。

欲しいなあ、欲しいなあ。
とりあえず、次の母の誕生日にはこれ贈るのは決定。
広告はショップのサイトにつながるが、amazonだとプライムで送料無料になるのでamazonで買う予定。

1月25日

15年前の1月25日、姑が死んだ。
秋に入院した。肝臓が悪かったり血圧が高かったり。ちょっと一週間入院する、ということがちょこちょこあった。だからまたそんなふうに入院して、そんなふうに帰ってくるものだと思っていた。

冬が来ても戻れず、状態は悪化した。病院に行ったときは、いつも手を握って話していた。もっともっと、たくさん手を握っていればよかった。

1月5日、初めての「危篤」だった。朝から雪がどんどん降り、積もった。うちの車は使えず、タクシーはなかなかつかまらなかった。そして、このときは持ち直した。

1月25日は、早朝に病院から電話があり、家族で駆けつけた。個室に移されていて、みんなで送ることができた。なんだかひたすら、ありがとうを言って送ったような気がする。

34年前の1月25日、わたしたちは結婚式を挙げた。よく食べよく飲む元気な花嫁だった。二次会などはせず、式の後に友達とお茶を飲んだ。

帰りに夫の友達数人とラーメンを食べに行った。夫の友達で、夫とわたしが知り合う前にわたしの飲み友達だった人間がこのときいっしょにいた。この彼が「今日は疲れただろ、オレのチャーシューも食えよ」と言って、わたしの丼にチャーシューを入れた。「うん、ありがとう」と言ってチャーシューを食べた。うまかった。
帰ってから忙しく、夫と旅行の準備をした。

あれから15年、あれから34年。ずいぶん経ったなあと思う。

ちなみに。夫の誕生日はわたしの祖母の命日で。夫の末の妹の誕生日は、うちの猫の命日。なんだかそういう巡り合わせみたいな話。

腰痛

数日前から腰が痛い。ちょっとした角度で痛い。そこから動かしたらヤバいから、みたいな線がある感じ。

昨日の夜、バリバリに痛くなった。一撃をくらわないように、姿勢に気をつけて動く。風呂に入ったら痛みがやわらいだので、翌朝腰にカイロを入れて過ごすことにする。

以前足のふくらはぎが痛いので整形外科に行ったら「変形性腰椎症」と診断された。レントゲンを撮り、ほらここがねと説明された。加齢で椎間板がすり減っている。

ということで、わたしの椎間板はすり減っている。もう元には戻らない。最近調子はよかったが、すり減っているのだから、そりゃ痛む時もあるだろうと思う。

以前、整形外科に通っていたときはどんなもんだったかいのうと、日記に検索をかける。はあ。痛みが出たのは12月で、1月に足繁くリハビリに通っている。リハビリで指導された体操を一生懸命やりながら、カイロだアンカだ腹巻だと腰を温めている。なるほど。

過去の日記を読みながら、けっこう忘れているものだなあと思う。しかしちゃんと書きとめてくれていた自分に感謝しながら、今日の腰痛の対処をする。

「ねえ、どこに行っていたの?」

夫に聞く。家族で外出をした。普段使わない私鉄の駅で「ちょっと」と言って、夫と息子が改札を通っていった。
わたしは娘と。どこにいたんだっけ。誰かと話していた、「きっとトイレか何かでしょう」。何時間も帰ってこないトイレってなに?

「ねえ、どこに行っていたの?」

夫が黙っている。ひたすら黙っている。黙って座っている。あそこで別れた時に持っていなかったものを持っている。

「誰かに。誰かに会っていたのね」

夫が黙っている。ああ。どうしよう。このままわたしはここで生活していっていいのだろうか。ふつうの夫婦はふつうに話し合えるのだろうが、なんだか「代々の土地」とかめんどくさいものを背負っている長男の夫で。そんなめんどくさいところで女のきょうだいと親戚ばかりな環境で。そんなものを抱えた夫に大事にされない状態でわたしはここで生活できるんだろうか。とか、次々にいろいろなことを考える。

「って、今ココ」

と、目が覚めたばかりの夫に、さっきまで寝ていたくせにべらべらと「さっきまでの世界」をわたしが説明する。

「はいはい」と、夫が言う。
「そういうことはそっちの世界で全部そっちの人に言ってきてくれ」と、夫が言う。

ふうむ、と、わたしが考える。ああ、なんでわたしは息子に聞かなかったんだろう。あの子はすぐ口を割るのに。いや。誰かを守るためならたぶん、口は開かない。

「ねえ。おとうさんとどこにいったの?」

夕食のときに息子に聞く。「は?」と息子がわたしの顔を見て、それから言う。「また変な夢を見たのか」。

また、とか。いや、そんなことを言われるような頻度でもないぞ。
たぶん。昨日の夜、「これはこれで今のしあわせ」と、日記に書いた。その「今の平和」をぶち壊してみたらしい。

それにしても。初老の夫婦というものは、共同でやっていかなければならない人生、という意味合いが若い頃とはまた別の色で出てくる。
心、というものをつぶして日常を守る人生もたくさんあるだろう。その現実の端っこを、少しかじったような感覚が残る。

家族の「今」

去年の春の緊急事態宣言から、息子がずっとテレワークになっている。

夫のテレワークは、1月から少しずつ始まった。交通事故の退院が12月24日で、通勤がしばらく難しい「足」ということになり。年末にばたばたとテレワークの準備が進み、そして1月。

この二人が、8時30分には部屋に入り12時に出てきて昼飯を食べ。6時過ぎにそれぞれのタイミングで出てくる。そして6時30分には家族で夕食を食べる。

1月も後半になり。こうした生活がすっかりうちの日常になった。娘は夕方には通所先から帰宅する。

初老の夫婦にアラサーの子ども二人。こうした年齢層の四人家族が、毎日6時30分に家族揃って夕食というのは、ううんなんかちょっとヤバいような気がする。

娘の「先」は、グループホームのチョイスあたりなんだろうが。まだいいじゃないかとも思うところで、コロナ禍では危なくて出せたものではない。実際、障害者の生活施設での感染の話はよく耳にする。

息子の「先」としては。家を出る計画を実現させようとしていた時期からのコロナ禍で、完全に出鼻をくじかれてしまったようで。中途半端な気持ちになっている本人は、どうしたものかと思っているらしい。

そんな状況ではあるのだが。最近、まあこれもよいかなと思う。このくらい子どもが大きくなれば、子どもとの食事は季節イベントのようなものだと思う。
そんな季節イベントのようなものが、もう毎日だぜと。それはなんか期限付きのしあわせかもしれないなあとか、思ってきた。

今日は金曜日。金曜日だから夕食でビールを飲んだ。土日の夕食は酒は何を飲もうか、飯は何にしようか。
そうやって、家族の「今」を満喫する。

お誕生日

今日は夫のお誕生日。

朝、おめでとうを言ってプレゼントを渡す。買い物に行けないからネットのお買い物。

ひとつは、ヒノキチップを使った自然の「加湿器」。水で湿らせて机に置く。「テレワーク プレゼント」で検索した。すっかり在宅で仕事をする日常になったので。

もうひとつは、サコッシュサコッシュってなんだよ。ポシェットより大きくて、ショルダーバッグやボディバッグより小さい、斜めがけできるバッグ。と、解釈している。「メンズ サコッシュ」で検索した。要するに「病院に通うときに使う小さいバッグ」。財布とiPhoneが入ればいい。杖をついて歩くので、ポケットぱんぱんにするより軽い斜めがけできるバッグがいい。

息子さんはAirPods。事故で壊れた。保険会社に修理費を請求できるのだが、修理ではなく「片側購入」。なので新しいのをプレゼントすることになった。旧機は息子さんが引き取って使うことに。

ホールケーキも買った。年寄りと大人の四人家族で誕生日を祝う。