リツエアクベバ

satomies’s diary

「女性のブログ」について、思いついたことなど

 id:chidarinnさんからトラックバックを受信し、つらつらと考える。また、自分が書いた言葉などをながめながら。

 自分の現状としては、男性女性が混合した場の中で、数がどうのということを言わなければ、女性のブログで女性性にこだわらない話題の中で、女性の視点に出会うことはあるわけで。(女性のブログ

 じゃ、その、アンタが出会うことがある「女性の視点」ってなんなんだよ、と自問自答。
 まず思いつくのは、自分を子の立場としてとらえて語る母子関係の話。子どもの人間関係で両親というのは、まず母親がいて、そして父親がいて、という位置関係はあると思う。母親の方が日常的関係だから、かもしれない。成長の中で親をとらえていくときに、女の子にとって母親というのは、同性ということで距離関係を作っていくのに、同性という特徴はあると思う。特に母親が管理的タイプの場合、女の子はその管理から離れにくい。生育歴に与える母子関係の影響のようなものを語るとき、思考するときに、女性は自ずと女性の視点が現れているようにも思う。
 女性がもっている女性性に関しての「装飾」をどう思うか、という価値観もあると思う。女性は自分がどう思っていても、女性性というものに女性性という「見られ方」というものが存在すると思う。その「見られ方」を意図して使っていくタイプとか、意図して使っていくタイプに対してあまりよく思わないタイプとか。
 文章を書くときに、自分の考えを出すときに、自分の女性性を正視するタイプとか、性差をあえて平らにしようとするタイプとか。
 こういう違い、その違いを選択している個性の根底に見る女性の視点というものがある。
 個人が書いているものを見るときに、そういう、わたし自身が気づく女性の視点というものがあるわけで。これは自分が女性であるから感じるものなのだろうと推測。いやそれは単なる憶測で、憶測をもたれる方は迷惑と感じるのか、とか。
 chidarinnさんのプロフ。わたしはこれにも女性性の視点、なんてのを感じるんですよね。で、ここに感じる女性性の視点というものが、女性全般に見られるものでもなく、chidarinnさんに見られる女性性の視点というか、と思う。
 などとちょっとつらつら。もうちょっと考えてみたい。突然のトラックバック受信で、思考のきっかけをもらえるのは楽しいです。