リツエアクベバ

satomies’s diary

母と電話

母と電話で話す。母は耳が遠くなってきているが、そんなに不自由はしていない。会話に関しては、かなり文脈理解に助けられているところがあるので、突然の話題転換があると聞こえていないことが露見する。

例えばコーヒーの話、紅茶の話をしていれば、多少音が正確に聞こえなくたって緑茶もウーロン茶もほうじ茶も、話の延長で(こんな音やイントネーションならほらあれでしょ)みたいになるんだと思う。
しかし紅茶の話をしていて、そういえばさ、と、軽トラックがどうの、みたいになったら迷路にはまり何度も聞き返す。

このあたり、要領がわかってくるとこちらも不便はない。要するに常に会話の中の渡り廊下を考えていればちゃんと渡って来られる。

わたしはそうやって渡り廊下を作りながら会話をするが、母はおかまいなしだ。話も突然とんだりする。

「あのね、お友達と真実を見に行ったの」。

すげーだろ。真実を見に行ったんだぞ。これ、すぐに映画の話だと気づいたわたしはかなり偉いと思う。

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話題は映画になった。真実は客の入りが悪いらしく、上映館や上映回が少なくなっていたそうだ。人気があるものはロングランがあるのにね。

「ほら、あの、外国の歌、歌う人。あの映画はまだやってるのね、夜一回だけなんだけど」

えっと、誰だ、それは。

「死んだ人」。

ボヘミアンラプソディーでした。わかったわたし、とても偉い。ふたりでいろいろ爆笑。

Spotify

月々いくら、年間いくら、TSUTAYAで借りていくら。とか、ちまちまちまちま計算していたが。
ついに誘惑に負け、トライアルに手を出した。Spotifyで家族利用のトライアル。

たぶんもうフリーには戻れない。次から次へと聞きたかったアルバムをあけていく。

最寄りのTSUTAYAがどんどん閉店する。アプリで登録していた店がもう4軒消えた。それでもまだ、車でちょいと電車で隣駅にTSUTAYAはある。借りに行って百円だか払って「返すのは郵送ね」にすればいいといえばいい。
しかしね、最近の邦楽ロックのアルバムでTSUTAYAに在庫を元々おかないもの、多い。登録店舗に取り寄せはできるらしいが、なに?その手間。

もう扉を開いてしまったよ。どんどん広がるよ。音楽サブスク費用はどうやらわたしの人生に必要経費みたいだ。

余暇支援

娘が今日、障害者余暇支援事業でお出かけ。今日の外出は「暖かいものを買いに行こう」。マフラーとか、手袋とか、帽子とか、ネックウォーマーとか、レッグウォーマーとか、靴下とか。だそうだ。電車に乗って数駅先の大きなショッピングモールに行き、買い物をしてお昼ご飯を食べて帰ってくる。

親と一緒に買い物に行くと、親のペースで無駄なく選んでしまいがち。自分主体でチョイスして、自分の財布で買い物をする。本人主体の支援を受ける。いいイベントだなと思う。予算は3千円くらいで考えてると。失敗してもいいから無駄遣いしておいでと思う。

解散時間に迎えに行って。なに買ったの?と聞く。「おじちゃ」と答える。は?なんだ?それは。「あー、そうなんだ。よかったねえ」とか答える。あとで実物を見せてもらおう。

車で待っていた夫に「『何買ったの?』って聞いて」と言う。「ちぃちゃん、何買ったの?」「おじちゃ」。

お、お、おじちゃって、なんだよ!

「ちぃちゃん、カバンあけてもいい?」「いーよー」。

あったかいほうじ茶のペットボトルが入っていたよ。最後に買ったものみたいだ。

クリスマスの模様の袋を出して、再び聞く「何買ったの?」「まふらー」。
そうですか、マフラーでしたか。いや、これはネックウォーマーだけどね。おじちゃという冬グッズはなんだろうと本気で思いましたよ。

急に寒くなった。自分で選んで買った冬製品で迎える冬は楽しかろ。よい余暇支援でした。感謝です。

スマホのケース

ゴッホづいていて、ケースも変えた。

ケースはずっと手帳型を使っていたが、lPhone XRからやめた。手帳型はかさばる。本体が大きくなったのでかさばるのがいやだった。

手帳型を使っていたのは、表面の保護に加えてカードが入るのが利点だった。Suicaと免許証を入れてた。XRはSuicaをアプリで入れられるからカード入れが必要なくなった。

手帳型をやめてみたら戻れなくなった。なにより写真を撮る時にびらびらしてるのがいやだ。画面の保護と言ってもそんなに乱暴に扱ってるわけでもなく。いちいちそんなにふたをしなくてもいいじゃないか、とか思うようになった。
かっこいいスマホポーチは欲しい。

iPadは、蓋つき。これは今のところ変える気はなし。なんとなくノートみたいなもの。

スポンジ3個目

サンサンスポンジの2個目を使い始めてから半年経過。

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普通の食器洗いスポンジよりはるかに長期的に使えるという、少し割高スポンジ。半年に一度取り替えるということで「3個目」。つまりサンサンスポンジのユーザーになって一年経った。

1個目は、刃物を洗ったときに傷つけてしまったけれど。2個目は大事に使っていたので1個目の「半年経過時」より傷んでない。しかし半年だしな、と思って新しいのを出した。新しいのは弾力性が強い。ああこんなだったなあと思う。

サンサンスポンジを使って一年。もう他のスポンジは使わないと思う。短期間でスポンジのことについて考えなくていい。というのがなんか当たり前になってしまって、すぐ劣化するスポンジがもうすっかりめんどくさい。

新しいのをメインに、今まで使っていたものをサブで使う。サブは油っぽい料理の皿や味の濃い料理の鍋とかを洗うのにまず使う。つまり今までサブに使っていたものは初代。一年使ったことになる。もうヘタレだけれど、正直まだ使える。とりあえずなにに使うか考え中。

23回目

猫が死んで23回目の水曜日。今日も水曜日のネコを飲む。

写真を見ていると、顎を思い出す。鳴らす喉、手にのせてくる顎。もうさわれないけど、まだちゃんと知ってるなあと思う。

スマホのロック画面が猫の顔のアップなんだけど。写真を見るときに顎ばっかり見てる自分に気づく。

ゴッホ展

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上野の森美術館ゴッホ展を見に行く。

11時過ぎに到着。平日の午前中だというのに場内は人でいっぱい。一枚の絵に人が三重くらい。側で見るために前の列に並び、遠くから見るために少し離れたり。

弟に送った手紙の文面の抜粋を紹介しながら、ゴッホの人生をたどっていく構成。ゴッホ作品だけではなく、影響を受けた画家、関わりのあった画家の作品も展示。

少しずつゴッホの絵が変化していくのがわかる構成。また、ゴッホがどう見ていたかという視点で見る他の画家たちの作品、という味わい。

ゴッホが死んでも作品で会えると、ゴーギャンゴッホの弟に言ったそうだ。そんなことをゴッホの絵の前で。糸杉のオーラはすごかった。また、混んでいるので「糸杉の絵に圧倒される人々」も鑑賞の中に。

昨夜、ゴッホ展に行く夢を見ていた。ショップでグッズが買えないと、ジタバタする夢だった。

現実は。ちゃんと買いたいもの買えてごきげん。

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