リツエアクベバ

satomies’s diary

母と電話

母と電話で話す。母は耳が遠くなってきているが、そんなに不自由はしていない。会話に関しては、かなり文脈理解に助けられているところがあるので、突然の話題転換があると聞こえていないことが露見する。

例えばコーヒーの話、紅茶の話をしていれば、多少音が正確に聞こえなくたって緑茶もウーロン茶もほうじ茶も、話の延長で(こんな音やイントネーションならほらあれでしょ)みたいになるんだと思う。
しかし紅茶の話をしていて、そういえばさ、と、軽トラックがどうの、みたいになったら迷路にはまり何度も聞き返す。

このあたり、要領がわかってくるとこちらも不便はない。要するに常に会話の中の渡り廊下を考えていればちゃんと渡って来られる。

わたしはそうやって渡り廊下を作りながら会話をするが、母はおかまいなしだ。話も突然とんだりする。

「あのね、お友達と真実を見に行ったの」。

すげーだろ。真実を見に行ったんだぞ。これ、すぐに映画の話だと気づいたわたしはかなり偉いと思う。

gaga.ne.jp


話題は映画になった。真実は客の入りが悪いらしく、上映館や上映回が少なくなっていたそうだ。人気があるものはロングランがあるのにね。

「ほら、あの、外国の歌、歌う人。あの映画はまだやってるのね、夜一回だけなんだけど」

えっと、誰だ、それは。

「死んだ人」。

ボヘミアンラプソディーでした。わかったわたし、とても偉い。ふたりでいろいろ爆笑。