リツエアクベバ

satomies’s diary

ぶったまげ〜の

 今日、朝から娘の学校に行っていて、夕刻帰宅。ふふんふんふんふふふんふん、と、巡回だぜって感じではてなRSSを開いてびっくり。なんだこのすっげ〜はてブの数は…、と。
 いや、そんなたいしたアクセスを稼ごうと思ったわけではなく、持論を大声で展開しようと思ったわけでもなく、要は前日の続きのようなもの。12歳になった息子、「ぼくは12歳」の詩集、では自分の12歳、というより12歳以前は。なんて要するにそんなこと。
 とりあえずオムツ取れて、一人で歩いて、集団に入ることでそれなりに社会も持ち、そして考えることを始めたとき。ってその最初の頃に、って感じのこと。
 この辺の記憶。かすかでも残っているものと、記憶から消え去るもの、残り生き続けるものとあるのだと思う。
 たとえば記憶の中の4年生の教室。そのころ始まった仮面ライダーの放映。夢中になるにはいささかトウのたった年齢。しかし新鮮な感覚を持つ点がいくつかあった。アレはこういう点でおもしろいよね、と、隣の席の男の子と話す。おお、そう思ってたなどと彼が話をさらに発展させていく。番組論的なものでかなり盛り上がる。
 この時の隣の席の男の子、実は今はテレビドラマのプロデューサーで、それなりに視聴率も稼ぐ。しかしこのときの会話を全く覚えてないという。彼の観点はわたしにとってはとてもおもしろかった、にも関わらず。
 思考、というものを始めるような年齢。それは「12歳」よりずっと前に始まっているのだ、と、わたしは思う。記憶しているいないに関わらず。

はてなブックマーク > S:今日の一言 - 小学生が編み出した哲学

 以下、コメントの感想。

殺人光線

 昨日のはてブコメントの「殺人光線!」ってのが、すっごく恥ずかしかった。まとめがもっともらしい割には、「殺人光線」っての、確かにわあって感じで恥ずかしい。
 いや〜、ストーリーってのはそのドラマ性に必要なのは、ラブ知る前には悪役の存在ってのが大きいですよね。ラブの前にはストーリーの基本に勧善懲悪が存在することは多い。で、悪役に対してすぱーんとやっつけるってのが正義でかっこいいわけですよね。
 でも「殺人光線」ってアンタ、これだけこの文字だけ見るとなんともはやなんというか。うっかりしてると、「子ども」「殺人」というのが許せない連想、って背景解釈せずばばーんと決めつけ的指導をする方々から教育的指導を受けてしまいそうだ。
 29日コメントで「子どもの世界観」ってとこにもっていってもらって、そうなのそうそう、と、ほっとする。

いるじゃんいるじゃん

 おおやっぱいたよいたいた、と思う。こんなこと考えるよね、考えてたよね、という方々。
>自転車でひたすら走ればセットの裏側に出れるかもと出かけたことも。
 わたしは雲に届くかも、と思い、ベランダで空に向かって物干し竿を振り回したことがあります。雲の切れるところまで、と、空を見ながらひたすら歩いていって迷子になった、なんて経験がある人は、可能性を含め、けっこういるんじゃないかと思う。行動によって実証しようとすること。仮説が予定調和のようにならないところまで飛んでいくこと。これが子どもの発想の自由さだと思う。そして「自分は異星の動物園で飼われている人間で周りはセットだ」っていう設定、ほうと思う。こういうのって、なぜか、思考の途中で誰かに話すこと、ってないんですよね。ひたすら自己の世界で思考を広げ、実証のカギをさがしているんじゃないかと思う。
>自分は三番目の夢想にぶつかったとき、飯を食べても味がしませんでした。一人ぼっちはいやだね。
 他者の存在を認める。これ、世界の前提のルールのようなもんなんだと思うんですよね。そのルールを破壊してみたとき、感じるのは孤独ですよね。わたしは「信じる」というワードを見つけたとき、ぱーっと明るくなる感じがしたのをよく覚えています。
>他人が見る色と自分の見る色は絶対的に同じなのか。
 これは高校で生物の時間に教師がなんか言ってた気がする。視力は数値で計れるが、色覚というものは色の対比で調べるもので、色覚自体を数値で計れず、自分と他者との色の感覚が完全に一致するか実証はできない、とかなんとか。なんだかわーっと、すごく新鮮な話だった。学説確認なんぞその後やる機会が無く、この辺、この教師の雑談でストップしてます自分。ふむふむとそんなことを思い出し、読みやすい専門書なんぞも読んでみたいところ。

ナニゲに息子が注目を浴びる

 本人知らぬところで味わわれているヤツ。いつか袋だたきに合うかもしれぬ。彼はニュースサイトのリンクをぐるぐる回った「サンタ考」でもネタにされていて、11歳の25日の朝も「おかあさん!サンタさんが来た!」を叫ぶ少年。12歳はどうなるか、と思っているのですが、先日の誕生日にプレゼントの話なんぞしてるときにもサンタの話をされちゃいまして。もうかーちゃんしどろもどろ。
 ちなみに彼の初恋の相手は、ちょっとミステリアスな美人です。あまりしゃべらない。表情も少ない。この子がちょっとにっこりすると、それはあまりないことなのでけっこうドキドキさせてくれるような感じの子。彼がこの恋で何を拾ったか、それともまともに恋を知ったときには忘れてしまうことなのか。成人した後くらいに聞いてみたい。
 何かを疑ってみる、覆してみる、ってことで生まれる思考のおもしろさってのもあるが、サンタを信じ続ける、ただ純粋に人を好きになる、ってことから育っていくものもあると思う。
 自分の子どもだから、ってことで、その思考が自由になるわけじゃない。育てるように育つ、ってことだけじゃないところで育っていくものもあると思う。

オマケ

 コメント欄に「不平等のススメ」の話が出てきたら、リンクアドレスを出していないのにも関わらず、コレにはてブがつき、ほう、と思う。大事な過去記事が生き続けるオマケがついてきたのはうれしかった。