以下、わたしが小学生のときに編み出した哲学。その後の人生の思考の中で、実は核になっている要素が高いもの。思考していたときの情景から察するに、高学年の年齢以前。つまり「10代」前。
世界は続く
自分を取り巻くこの世界というもの。これは実在しているものなのか。実は昨日までの記憶というものは、「お話」によくくっついているストーリー設定で、それが記憶として埋め込まれているだけなのではないか。昨日と今日。世界は本当に続いているのか。
実験。夜、いくつかのものを居間のテーブルにセットする。翌日、「自分の記憶」と「現実の状態」を比較する。
違う。おかしい、と思う。世界は続かず、ストーリー設定の範疇に誤差が生まれているのではないか、と思う。(真相→母親が片づけているだけ)
何度か実験。誤差が生まれるときと生まれないときがある。実証できる実験ではない。
膝小僧をすりむいたときに、はたと思いつく。すりむいたケガの状態を克明に記憶。翌日から観察する。少しずつ傷が変化する。世界は続いているのではないかという結論に至る。
どーしようもないほどに幼いというか、なんというか。と、ここを越えた自分は思う。でもかなり真剣だったんだよね。そして結局のとこ、実は実証できないことなのではないか、と思う。映画「ブレードランナー」のレイチェルがいい例。彼女の過去の記憶はレプリカントとして作られたときに埋め込まれたデータであり、彼女の過去ではない。つまり過去においては、彼女の世界は「続いていない」。
殺人光線
自分が敵だと思う相手を倒すためには力が必要。この力というものをたやすく手に入れることができたらどうなるだろうか。たとえば殺人光線。敵と思う相手に対して目線一つ投げるだけで相手が倒れる、というのはどうか。
母親につまらないことで叱られる、姉につまらないことでいじめられる。ううう、と唇を噛む。や、や、ヤバいと思う。殺人光線なんぞ持っていたら、ついうっかりと、一時の感情に任せてここで母も姉も殺してしまう。
→結論。人は誰だって小さなことで他者を憎むものだ。それは大事な人に対しても例外ではなく、誰かが大事、ということはそういうことも包括するものだ。
大人が総括するとこんな感じになりますが、本質はガキの時に芽生えた思考。後年、これは自己に対しても言えるものだろうと思い、その部分が付加されていく。
信じるということ
この世界に人間というものはどれだけいるのだろうか。もしかしたら自分が人間ととらえている存在は、自分一人かもしれない。自分が接している他者は、もしかしたら全て何者かに用意されたストーリー展開として用意されただけの存在かもしれない。
わたしがプリンを食べておいしいと思う。家族が一緒に食ってて、それなりにうまそうな反応をする。では、このわたしが「おいしい」と認識する感覚は、同一なのか。わたしが転んで痛いと思う感覚。これは他者と同一のものなのか。
→結論。実証不可能。自分が主体的に「信じる」ということをもってはじめて、他者の存在は成立する。
これは星新一がショート・ショートの題材として扱っていますね。みんなで食べる大皿にのったようなお菓子は、最後の一個はみんな牽制して誰も食べず、最後まで残り続ける、と。そういう前フリがあって、その後語られるのは、実はこの世の人類は全て吸血鬼であり、あなた一人が人間なのだ、と。安心しなさい、あなたは最後の一人だからずっと安全です、って内容だったと思う。
自分以外の人間が全て吸血鬼であるかどうか。これは「ちがう」と信じることでしか実証できないのではないか、なんてことを思う。
総論
ませたガキです。早くから活字中毒だったために現れた症状です。読書の習慣は幼児期にすでに完成。小学校入学後は図書館というものを手に入れ、宝の山のように思い、毎日毎日、日に二冊ずつ借りて読んでいました。
ってことで、自分を、周囲を、ひとつのストーリーとして認識するような、物語と現実を混同しているようなところから生まれた発想だと思う。
ここで重要な核となっているのは「self-esteem」、自尊感情です。人生をひとつのストーリーとしてとらえ、自分を核となる登場人物、つまり主役に設定し、周囲を存在させる。そしてその周囲の存在を実証するカギになるものは、全て「信頼」だということ。これは実は、ものすごく重要なことなのではないかと、かなり生きる指針になっています。
さて自分の子ども。娘は染色体がわたしと違うのでよくわからん。抽象的な概念を持つことに障害があるわけで、こんな思考自体が発生する要素も無い。しかし自尊感情ははっきりと個性に表れているので、これは遺伝子で流れてったかな、とは思う。自分の障害を認識すると、それを越えるテクを独自に編み出すところがあるのはお見事。この要素は幼児期に生まれ、小学生の次期に充実を加え、さらに実験を繰り返すところがある。知的障害をもちつつの実験は、時々後始末が大変。
息子は疑ってみる、という思考が薄く、渡されるストーリーをまんま信じる。いまだにテレビのドラマやアニメのストーリー展開や、いわゆる子どもだましの仕掛けにも大声でツッコミを入れる。状況に入り込みの強い子。自尊感情より、ガラスのプライド、なんてとこもあると思う。女の子や小さい子に優しい。そりゃ嘘泣きだろ、ってことにも根気よくつきあう。っつ〜ことで、友達の妹や従妹にモテる。断り下手なのでカモられることは多く、初恋の相手にも見事にカモられて、レアなポケモン大放出の経験アリ。ポケモンの切れ目が縁の切れ目、という失恋を経験。それでもいまだに「姿を見るだけでうれしい」と言う。色に出にけりで母にはその初恋の全貌がバレちゃいましたが、恋を知ってる男の子に育ったことが母はすっげ〜満足。この子はこの子でかなりおもしろいです。この子はこの子で、こうした経験で得たものを、いつか自分の指針として完成させていくんでしょう。