リツエアクベバ

satomies’s diary

実家に行く

 金曜日、朝から支度をして子どもたちを連れて実家へ。車で行くのではなく電車で行くコース。車で行くルートは都内に入ると渋滞にはまりやすく、都内の渋滞は子どもたちが酔いやすくなるので嫌がるから。ただ両親がもう少し弱ってきたら、わたし一人で日常でどんな時刻でも往復しなきゃならない日が来るだろう。どこかその日が見えてきているけれど、とりあえずまだ。電車で一時間半で到着。
 都内に向かう電車の中は、小学生二人連れの女性が数組。こういうパターンが一番じろじろみられるケースになるなあと思う。娘に対して違和感をもつ子どもの視線。まあもう慣れたもんだけれど。
 息子はこういうパターンにどう慣れているんだろう、どう慣れていくんだろうと思う。最初っからその可能性を薄々わかっていて進んでいく「親」と、だんだんその視線のようなものを認識していく「きょうだい児」と。
 家に着いて、高い位置にあるレールなんて環境のカーテンの付け替えだのなんだのと、老齢の両親に対しての子どもとしての労働。お茶を飲み、母と話しながら、母はわたしの髪の毛をチェック。状態、生え際、白髪など。母は櫛を持ってきて、わたしの髪になんとかのなんとかなんてものを塗り始める。サルのグルーミングみたいだね、なんて言いながら簡単エステ。なんとかのなんとかなんていう顔に使うものいくつかのボトルももってきて、言われるまま言われる順番にぬりぬりだのなんだの。頬はつやつやぷるぷるになり、エステだエステだ、なんて二人ではしゃぐ。
 手がさ、年を取るのがイヤなのよ、と、母に言う。手の甲の血管がちょっとずつ見えてきていて、それが盛り上がっていく、そういう年取った手になるのがイヤ、とこぼす。時の流れは人には平等、仕方の無いことなんて思いながら。
 そんなことをぶつくさと言うわたしに母が言う。こうやってごらん。両手をバンザイしてお日様きらきらのおテテ。手をきらきらと振る。は?と思いながら手をあげてキラキラ。老婦人と中年の女が二人で両手をあげてお日様キラキラ。手を下ろす、ほら見てごらん、あホントだ。手の甲が若くなった。重力で短時間なんとかするようなモンらしい。時間制限アリのシンデレラの手。ばかばかしくもあるけれど即効性が高いので、手を振っちゃ眺めて遊び続ける。娘達が成長する中で、小学校を卒業した途端に子ども服をやめ、ファッションビルやブティックで服を買い与えた母。ローファーではなくヒールのある靴を買い与えた母。70を超えても美しい。小学生にしか見えない大きさのわたしの娘にも、滞在の間に長めのスカートと皮のサンダル、なんていう女らしい仕様変更。急に大人びた感じの娘を見て楽しむ。
 帰宅は10時を過ぎる。夫が帰宅し、実家の話をする。うんうんそれで、それでそのバンザイきらきらってのは何かのおまじないか、踊りたいのか。えっとこれはね、と話すと夫が笑い出す。二人できゃらきゃらと手を振りまくっていたかと思うとおかしいと。でもね、でもね、と言いながら、翌日になっても何かちゅーと、手を振ってるバカ。