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書いておきたかった自分の思ったことの記録のような文章を、こうやって取り上げてもらったんだぁ、などと、ちょっと新鮮な感覚。うん、そうなの、がんばってるんだろうなと思ったの、などと脳内あいづち。
曲を吹いてたのよ、何曲もこなしてたのよ、レパートリーってのがあったのよ。それがね、小学生のリコーダーを変な吹き方をすると、ピェ〜みたいな変な音がするでしょ、そんな音になってしまったんだよ。音がまともな音にならない、だから当然のごとく曲なんぞ吹けない。
月一回のこの活動、先月も先々月も、仕事終えてからこの活動場所に来て、そしてせっかく来たのに来てすぐに帰ってしまっていた。なぜ?わからない、「もうやめる」「帰る」と言って帰ってしまう。中心になるドラムの先生の男の子、サックス奏者で先生の男の子、この二人に「いじめたんじゃないの?」と半ばふざけて言うと、「そんなことはしていない」と真面目に、そしてとても不可解な顔で首を振る。この人のお母様を知っている人が言う、「本人行くのをとても楽しみにしてるのに、変なことを言って帰ってしまっているようでって言ってた」。理由が誰も何もわからず、とても不可解だった。
この日も遅れてきた。来ないのかと思って淋しい気持ちを持ってた。そうしたらやってきて、そしてサックスを取り出したら、周囲が唖然とするほど変な音しか出せなかった。いっしょに来ていた息子があからさまに耳をふさいだ。そう、耳にきーんとくるような変な音。
なんかこう、全てがわかったような気がした。がんばってたんだな、がんばってるんだな、って。そうしてなんとなくそうだったのかと理解したときに、逞しくなった彼の姿が逆に見えたような気がしたんだ。だから終わったときに話しかけたとき、音がどうのとかサックスがどうのとかじゃなくて、口をついて出たのが「かっこよくなったよ、なんかね」ってことだったんだよね。
曲をこなしていた、すごいねって、上達のペースも見事だった。それが変な音、そんな音しか出せなくなっている自分を、誰よりも本人が知っていただろう、それでも来たんだな、って思った。そのこともがんばっているんだな、と思った。
がんばれ障害者とか、がんばる障害者とか、そんなことじゃなくて、がんばってるんだな、と思った。もしも自分だったら、あの変な音しか出せなくなった自分を自覚しているのが自分だったら、わたしどうしただろうと思う。わたしは来られなかったかもしれない。誰にどう言われてとかじゃなくて、自分で決めて自分で自分に向かい合うってこと。当たり前のことかもしれないが、簡単なことじゃない。