リツエアクベバ

satomies’s diary

感銘を受けた新語

 新語に対してどういうニュアンスを抱くか、どういうニュアンスで解釈するか、そんな視点があるのでございましょう。一年前にはわたし自身はそのニュアンスが理解し難かった「萌え」ですが、最近は理解できるようになってきました。そのわたし個人の理解のポイントの始まりは「萌え」という言葉を駆使する文章ではなく、アキバ系うんぬんのテレビ番組でもなく、クレヨンしんちゃんの風間君でした。風間君が魔法少女萌えピーを愛していて、萌えピーグッズを手にするときの「うふふ」的要素に、これか…などと思ったのでありました。
 そして今日、新たにひとつの個人が生んだ新語を発見、大きく感銘を受けております。その新たな、個人が生んだ新語とは、「かわえろい」というもの。
 恋というもの、例えば男性が例えば女性に抱く恋心というものに、その恋心の淡い濃いは関係なく、この「かわえろい」は実は不可欠なのではないかと勝手に思っております。対象に思いを抱いた「えろい」には、是非とも「愛しい」をつけて欲しいと個人的には切望します。そしてこの「愛しい」を象徴させるものは個人によって価値判断基準はそれぞれ違うものだと思うのですが、わたしは「かわいい」であって欲しい。
 「かわえろい」の味というものは、けして「えろかわいい」ではないことです。「えろかわいい」では、なんというか、一度の「えろい」で終わってしまいそうな感が残ります。また「えろい」についでにちょっと「かわいい」がついてきただけのような気がしてすぐに忘れ去られてしまいそうな「かわいい」のような気がします。やはりここは(どこ?)、是非とも「かわえろい」であって欲しい。「かわえろい」の方が、結論が再度「かわいい」に向かいそうな気がするからです。これが恋というものの本質に向かっていると、わたし個人は思いたいのであります。 

申し訳がつきませんので恋をさせていただきます。/代替怠惰