リツエアクベバ

satomies’s diary

霞先生ったら!

 RSSリーダーでぽんと霞先生んとこの更新が出る。ふむふむ飛んでふむふむ読む。で、ページを閉じる。閉じる瞬間さっと見えたものがアリ。あれ?
 残像におお、と思う。霞先生んとこもつけたんだ、iddyプロフィール。で、ぽんとクリック。

fivefogs's profile

 へ〜、ふふんふん。ん?んん?んんん? ちょ〜っと待った! なんだコレ。

好きな音楽or音楽家
YMO 藤岡藤巻

 YMOじゃなくてこの「藤岡藤巻」ってヤツなんだ? わたしはこの「藤岡藤巻」ってのは知らん。でも藤岡藤巻とくりゃ、そりゃ尾崎だろ。で、尾崎と一緒の藤岡藤巻じゃないのか?この「藤岡藤巻」ってのは!違うのか?!
 検索検索。…やっぱり〜〜〜〜〜〜。

”藤岡藤巻”公式サイト おやじエンタティメント!

 ほ、ほら、ほら、ほら。あるじゃないかあるじゃないかあるじゃないかメニューに。尾崎がいた頃のグループ名が…。

伝説のカルトバンド その名は”まりちゃんズ”

 奴らがこんな動きをしていたなんて、わたしは知らなかったわ。このページで紹介されているレコード、二枚ともわたし持ってたわ。子どもが生まれてモノが増えていく中で、処分してしまったものの一つだわ。っつ〜か、ダウン症の子ども生まれて生活が始まってる中で、自分にとってもっともバカバカしい持ち物のようなもののひとつだったわ。
 …、なんで処分したんだろうわたし。今になってすっげ〜後悔。
 っつ〜か、こんなもの「音楽カテゴリ」に入れていいんだろうか、わたし。しかし「藤岡藤巻」チェックだわ…。ダウン症の子を生んで、障害児教育やってる人のプロフからこんなモン見つけるとは思いもしなかったわ。人生って不思議なモノだ…。

検索結果メモ

まりちゃんズ復活動画

YouTube - 尾崎家の祖母
 尾崎のテンションが昔より低めなのが残念。尾崎も普通に年を取るんだなあと思った。藤岡さんの髪の毛が普通になっていることに(そりゃそうだよな)と思う。復活ライブをやってもタイムマシンに乗れるわけじゃない。
 尾崎家の祖母がご生存だったのがめでたい限り。

藤岡さんトーク

YouTube - 牛乳トイレットペーパー海苔 
 声は同じ、でも姿は変貌の藤岡さん。変態チックな男の人だったのが、変におかしいオヤジになっていることにへーと思う。垣間見える「普通の人じゃなさ」。
 冒頭の「当時のレパートリーが恥ずかしい」という言葉に(そうだろうなあ)と思う。むちゃくちゃだったもの。

藤岡藤巻の曲になるほど

 昔の曲をただ懐かしんで歌うよりも、と思った。なんか感慨と共に支持。
 考えられないような変な人たちをきゃーきゃー笑っていた中学生になったばかりの当時のわたし。そして現在の自分。あの頃にいたあの人たちも人生やってきたんだなあと思う。そしてこういう表現の仕方になったのかと感慨。

まりちゃんズが生まれた時代背景

アングラの去った後にはズサンの時代が来た
 まりちゃんズはフォークが既にアングラではなくなった74年、あるフォークコンテストに出場したのをきっかけに、当時歌謡フォークをウリにアナーキーな活動を展開していたエレックレコードの目にとまる。彼らの登場をある関係者はレコードのライナーでこう語る。
 「ひょっこり出てきた三人組。唄い出すやいなや地球も割れんばかりの大爆笑。こりゃいけると暗示にかけられた私めがもちかけりゃ、悪乗りした浅沼プロデューサー、お金出すからレコード作れときたもんだから話がひどくなってきた。ところが本人達『あんな変な歌、おぼえているわけないよ』と言えば、おぼえているから俺が唄うと青木ディレクター。誰が唄うかでひともめしたあと、とにかく急いでレコーディング……」
 早い話がグループもレコード会社もズサンな「お笑い」をマジメに演じていたのだ。資本主義にどっぷり使った今のレコード業界ではまず考えられない牧歌的なエピソードである。この時、彼らがうたった“変な歌”がデビュー曲となった「ブスにもブスの生き方がある」であった。
ブスにもブスの生き方がある まりちゃんズ

 当時だって、そんなにメジャーな存在じゃなかった。知ってる人の方が少ないってのがまあ一般的だったと思う。ただ知ってる人には偏執的に記憶されてるグループだと思う。