母が、友達が消えていくことをここ数年さみしがっていた。連絡がとれなくなる、どうしてるのかわからない。そのうち、施設に入ったとかの情報が入ったり入らなかったり。
こういうことか、と、今、気づいてるところ。母も急に自宅を留守にしたので、母と連絡をとりたがる知人友人はいる。
そうした方々の中で、ネットを使った連絡がくる。
しかし今、母は、なんだかんだと自分の状態を話せるわけじゃない。自身が完全に受けとめている状態でもない。
このあたり、電話でないのはある意味ありがたい。
「体調を崩したので、次女のところにいる」
ぶっちゃけ、これで納得して欲しい。そこで忖度して質問をやめてほしいのだが。心配という名の「もっとちゃんと教えて」が、今とてもめんどくさい。
母と話す。ああこれが年寄りの「連絡がとれなくなる、どうしているのかわからない」の背景なんだろうね。
元気でいるいわゆる「自立」の年寄りと、人の手を借りて生きていかなければならなくなった年寄りとは、そこにある種の壁というものがあるのかもしれない。
ある種、障害受容とも似ていて。障害受容のさなかに、おのれの葛藤と共に話ができる人間関係とは。みたいなところもあるのかもしれない。
新しい経験は、新しい目と思考を呼ぶものだなあと現状を味わう。