リツエアクベバ

satomies’s diary

大阪万博

テレビで昔の大阪万博の特集をやっていて、興味深く見た。

www.tv-asahi.co.jp

1970年の大阪万博に行った。今思えば、けっこうセレブだ、東京から泊まりで行ったので。母と娘二人という、同じような二家族で行った。娘二人は二人とも同じ小学校の同じ学年だった。母親同士が親しかったんだろう。家の行き来もあった。

今日のテレビでも言っていたが、万博に行った人間はサイン帳をもって、やたらとサインを貰っていた。サインをもらいたがる人が多くて、サイン禁止のパビリオンもあったと今日のテレビは言っていた。
そうそう、そうだった。やたらとサインをもらっていた。誰に?外人に。外人のスタッフに。別に芸能人でもなんでもない。
「当時の万博は、外人自体も『ある種の見せ物』のようなところはあった」。行く人にとっては。

万博の何がおもしろかったか。あまり覚えていない。やたら混んでいたのと、外人があちこちにいたことくらい。
外国のパビリオンより、空いている日本のメーカーのところがゆっくり見られておもしろかった。未来の技術は、みたいなものだったと思う。

大阪に着いた日が「よど号ハイジャック事件」があった日で。そのニュースをホテルのテレビで見たことはよく覚えている。そのホテルのこととかは、あまり覚えていない。

万博はおもしろくて、「さあ明日はどこのパビリオンに行こうか」と思っていた翌朝、万博に行くのは昨日だけと親に言われて。なんだか心底がっかりした。
じゃあどうするのかというと、奈良に行くのだと言う。なんなんだそれは、的なことで。

その奈良はおもしろかったのかといったら、これまたさっぱり記憶に無い。
母二人が駅で「奈良はどう行くのか」と聞いたらしく、言われた通りに電車に乗って。着いたのは「灘」だった。
「はつおんがわるいのかしら」とか、なんだか適当に納得し合っていた母二人のことは、そこそこ記憶に残っている。