横浜市の図書館の電子書籍で、生死について書かれた本を読んだ。
余命の告知を伴う病気で、「生きようとする気合い」みたいな生きがい療法はマイナス面もあるのだそうだ。必死な期待は、裏切られたときの失望も大きい。生きるということは、死ぬということをも受け入れて進むということなのかもしれない。
コロナで人工呼吸器治療の説明をされた時に。「わたしは死にますか?」と医師に聞いたら「わからない」と言われた。要はデータが少ないのでなんとも言えない、ということで。わかっているのは昏睡して人工呼吸器治療に入ることが、時間の問題だということだけだった。
ああ、そういうことだったのか。と思った。
ああ、わたしの人生はこんなふうなことになる流れだったのか。と思った。
ならば、今できることを今やろうと思った。
死ねない、とか、死にたくない、とか、生きてやる、とか。そんな強い思いは無かった。
なんなんだろう。どういうことなんだろう。
またいずれ、死を前にする時が来るんだろう。そのときにわたしは何をどう思うんだろうと。今、思う。