リツエアクベバ

satomies’s diary

公園散歩

大きめの公園に行く。桜は葉桜になり、新緑が5月に向かう準備を始めた感じがする。美しい。陽射しがぱあっと明るくなった感じがして、春がどんどん進んでいるのだなと思う。

ねえ、と、夫に言う。もう何度も繰り返した会話。入院して、帰ってきたら世界が変わっていた。

わたしの発症は4月入ってすぐで。4月10日の入院の時に、わたしは真冬のブルゾンを着て家を出た。寒い日だったのと、熱があったからだったと思うが、それ以上よく覚えていない。看護師さんは毎日、今日は天気がいい、今日は暑くなると、春が進むのを教えてくれた。それをぼんやりと聞いていた。

病院を出てタクシー乗り場で(眩しい)と思った。陽射しが、家を出てきた頃より「まっすぐに」明るくなっていた。家についたら、周辺の雑草は高く生い茂り。世界が「久しぶりに会った親戚の子ども」のように先にいっていた。

そんなことを、繰り返し繰り返し、夫に話す。公園の中の木々を見ながら(ああ)と思う。思って夫に話す。
「去年は春の間に、公園には来られなかった」。娘はすぐに回復したが、わたしたちは長く歩くと息切れがした。そうだったと思って、日記を探る。

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わたしと夫と娘は、週末によく大きな公園に行く。行き先は数カ所ある。そうした週末の習慣を、9月の末まで出来なかったのだなあと思う。

今日は4月9日か。7日あたりからもうよくわからない。ただ、9日に「入院しましょうか」という言葉が療養サポートから出た。「明日、入院が決定できる。明日の九時に電話をこちらに電話を入れてください」。
明日、入院できるのか。と、とてもうれしかったのが4月9日。

「苦しい、苦しい」という訴えをし始めたのがいつからか、もう覚えていない。苦しかったらここに電話を、という番号にかけて。
「入院したくても、入院はそんなに簡単にできませんよ」と乱暴に言われて、逆に(入院という選択があるんだ)と思った。
「患者はあなただけじゃない、市内に入院など無理。横須賀とかになりますよ」
苦しくて苦しいから苦しい時にかけろと言われる番号にかけているだけなのに、こんな言い方ばかり聞き続けた。酸素濃度はとっくに「92」が出ていた。動き回ってから計り直せと言われて、そうした数値は認めてもらえなかった。

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