リツエアクベバ

satomies’s diary

過去メモ

今日、あれこれと片付けていて。娘の事業所に、舅が亡くなったときの連絡した文章が出てきた。記載した自分の日記とは違う記載がある。
「紙」を捨てたいので、こちらに記録。

昨夜、おじいちゃんが亡くなりました。
21日に状態がわるくなりましたが、このときは落ち着き、22日の日中までは落ち着いていたのですが夕方から悪化し、夜亡くなりました。

このまま看取りという状態が9時頃で、娘が落ち着かないので娘とわたしが家に戻り。娘は自室で「寝ます」を選択。その後亡くなりました。

「もう死んじゃう」「さようならです」ということで、理解しています。
「コロナウィルス?」と聞かれたので「ちがう、病気」と言ってあります。94歳大往生ですね。

11時近くに医師が来て死亡確認(医師は19時頃に一度往診しています)

それから看護師さん、葬儀屋さんなど、1時近くまでばたばたでした。
いいタイミングで娘が「寝る」を選択してくれて助かりました。

「コロナウィルス?」と、聞いたんだなあと。この文章を再読して、そうだったのかと思った。
コロナが死んじゃう病気と理解していたこと。家族の、自分の、コロナ罹患はさぞ怖かっただろうと改めて思った。

わたしが先に入院し、四日後に同じ病室に搬送され。ベッドから動けない母を一週間近く向かいのベッドで見ていて。
わたしがやっと動けるようになったときに、よろよろと娘のベッドに歩いていったとき。とても怯えた顔をしていた。あの、やっと娘に触れられると思ったわたしの気持ちとの格差の顔は、かなり記憶に強く残ったなあと思う。

舅の逝去時に、最期まで立ち会うことを拒否したこと。これに対して何か思う人はいるかもしれない。このあたりのことは、わたしにはよくわからない。
姑の時は病院にかけつけたので、帰る選択は無かったし、正直娘の様子までは覚えていない。
姑に関しても、父に関しても、舅に関しても、娘が「遺体」を怖がることは特に無かった。

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