リツエアクベバ

satomies’s diary

個人情報とか思い出とか

今日、ゴミ捨てに行った時に、近所の人に会った。えっと山下さん(仮名)。

山下「この間はありがとー」
わたし「この間、だいじょうぶでしたか?」

数日前に、わたしはうちの前で若い男の人に声をかけられた。女の人がそばにいた。
男の人「このあたり、山下さんってうちは多いんですか?」
わたし「多いんですよ、山下なにさん?」
男の人「あきらくん(仮名)。前に一度来たことはあって。そのときの家が見つからないんです。お墓は行ったんだけれど」

お墓、お墓!

わたし「ああ、わかった。海で亡くなった子ね」
男の人「そうです!」
わたし「おうちをね、大きなおうちをたたんだの。おとうさんとおかあさんのいるおうちに案内しますね」

で、連れて行って。インターホン押して「おにいちゃんのお友達がきてる」と伝えて帰ってきた。

あとで、これはよかったのか後悔した。家を教えるのは個人情報ではないのか。「海で亡くなった子」と、わたしから言った。向こうから言うのを確認する形じゃなきゃ不味かったんじゃないだろうか。
個人情報をちゃんとする時代に、わたしは時代遅れのばあさんなんだろうか。本当にあの人はあきらくんの友達だったんだろうか。

「海で亡くなった」。高二だった。友達と海に遊びに行って、飛び込める場所で飛び込んで。その子だけ浮かんでこなかったそうだ。
お宅に線香上げに行った近所のおばさんが言ってた「ヒマワリみたいな髪の毛してたのに、真っ黒になってた」。
慌ててスプレーでもかけたんじゃないか。そんななんだか下衆な話を人づてに聞いた。
娘が小学校に入ったばかりの夏、わたしはこの場所に引っ越してきてまだ半年くらいだった。
だからわたしはその男の子を知らない。

もうこの場所に住んで長くなり、わたしはこの男の子のおかあさんとけっこう親しく話すようになった。
この男の子はいるかという電話はたまに入る。「出かけている」と答えると「いつ帰るか」と聞かれる。「さあ」と答えるのだと笑ってた。要は亡くなった子にも「なんかの営業」は平等だそうだ。

わたしは、この山下さんに朝会って、ばたばたと自分の思いを伝えた。
実は個人情報としてわたしは間違えていないか不安だったのだ。電話して聞いたら、お礼の言葉の催促かと思われたらと思ってできなかった。

「中学生のときの友達なんだって」と話し始めた。高校生のときの友達の、自分の知っている子ではなかった。
お友達がよく来てくれていたのは10年くらいだった。そこを過ぎるとやっぱり少しずつ皆縁が切れた。
せっかく来てくれても、こんな時期だから「あがってお茶でも」とも言いにくい。立ち話程度しかできなかった。
ありがたかったのだけれど、でもなんで今なんだろう。

あのさ、うちで話してたんだけど。と、わたしが話し出す。
女の人、連れていたでしょう? あの男の人がわたしに声をかけて話し始めたとき、あの女の人はちょっと離れてたの。だからさ。

あの男の人の奥さんなんじゃないのかな。話をして、思い出して、お墓参りをしたくて。そこに連れてきたんじゃないのかな。あの女の人は同級生とか言ってた?

言ってなかった。そうなのかもね。と、山下さんは言った。
海で亡くなったおにいちゃんは、娘が6歳のときに16歳だった。生きていれば39歳だね。