リツエアクベバ

satomies’s diary

オリンピック

高校の時の担任が、元オリンピック選手だった。たいしたことはないと言っていたし、それ以上のことは言わなかったし、特に興味もなかったのでよく覚えていない。陸上の選手だったそうだ、女性の先生。

覚えていることは。オリンピックが始まると関心あるでしょう、楽しみでしょうとか言われるのはすごく嫌なのだという話だった。

大人になってよく思うのは、教師というのは生徒によくいろいろ話すよなあということ。聞いてなきゃいけないし、雑談になるほうがいいものだから、生徒は熱心に聞く顔をする。言わばホステスに相手にしてもらう酔客のようなものだ。
教師なのだから教育的な話ももちろんあるだろうが、夫婦喧嘩のときに安い皿を玄関に叩きつけてそれで気持ちを晴らして終わらせるなどという話は友だちにしてくれと思う。このオリンピック元選手の教師ではなかったが。

で、「オリンピックの話は嫌なのだ」という元オリンピック選手の担任。
オリンピックに参加できるというような強化選手の生活は尋常じゃない。非常に苦しい。苦しいという思い出ばかりで、そのことを思い出すからオリンピックは嫌なのだと。そしてそれに勝ち抜くくらいのものがないと、そもそも強化選手など無理なのだと。自分は場違いなところにいって、場違いな自分と戦っていたのだと。

話はそれだけ。教育的な結びなどなかった。なぜそんな話になったのかも忘れた。ただ、オリンピック選手には尋常じゃないメンタルを持たなければそもそもなれないのだ、という理解だけが残った。オリンピックの度にそのことを思い出す。

娘の特別支援学校に、背が低くて、でも小柄な体にみっちりと筋肉をつけた男性教員がいた。にこにこと笑顔をたやさず、生徒にも保護者にも面倒見がよく好かれていた。

この教員と娘は縁が無かったが、わたしはこの学校のPTAの会長などしたものだから、この教員とはいろいろと接点がありよく話した。この教員が別の学校に異動になった後も、話したりする機会はあった。

話す機会はたくさんあったのに、この教員の名前が出ると必ずついて出るエピソードについて特に聞いたことはなかった。もう10年以上前になるので、それがどうしてだったかはよくわからない。

この教員に必ずついて出るエピソードとは「幻のモスクワオリンピックの選手だった人」というものだった。レスリングの選手だったそうだ。

「幻の」というところできつい思いをされただろう。また、高校の時に「思い出したくもない」と言った教師の記憶もあっただろう。
ちょっとよく話す機会があるおばさんに何か言われても、ちょっと笑ってお茶を濁す程度だろう。そんな会話を今更してもと思ったのかもしれない。

この教員は異動後に「高等特別支援学校の副校長」になった。特別支援学校の高等部と高等特別支援学校は全く別物で。ということは一般の人は全く知らないことだろう。要は軽度の人間の進路で倍率も高く、知的障害界のエリート校だ。

この学校に異動になって聞いた話。生徒に「朝早くから学校に来ちゃいけない」と言うんだそうだ。言っても言ってもめちゃくちゃ早くくるから、朝校門で「まだまだ」とか言うんだそうだ。特に一年生。

要は、生徒たちは友達ができてうれしくて仕方がなく、早く学校に行って友達に会いたいのだそうだ。
この学校の対象になる生徒たちは、知的障害の無い子どもたちの中にも、知的障害のある子どもたちの中にも、居場所が無かった子どもが多い。やっと同じような友達に会えて、学校が楽しくてたまらないのだと。

それを困った困ったと言いながら、人の良さそうな顔でうれしそうに話す。
そのエピソードがわたしにとっては、幻の過去を上回る。