リツエアクベバ

satomies’s diary

コロナ爆発

今日の新規感染者、東京2848人。過去最多の数字だそうだ。神奈川758人。横浜市218人。

わたしが感染した頃は、横浜市は30人とか40人とかだった。陽性の連絡が来た日の新規感染者のリストには「50代女性 パート勤務 感染経路不明」の人はいなかった。その翌日から3日間くらい続けてこの該当者は複数いたので、「いつこの発表の数字にカウントされる」のか、よくわからない。

横浜市の感染者はずいぶん多くなった。でも、わたしの周りで感染した人などいない。知らないだけなのかとは思うが。それでも人出がある町や、人がたくさん乗っているバスや送迎車とすれちがうと(なぜ、わたしだけが)と思ってしまう。(なぜ、わたしが。なぜ、わたしだけが。慎重に暮らしていたのに感染したのか)。
なんかもう、やさぐれてる。

障害をもつ子どもが生まれたときに。その運命が(なぜ、わたしなのか)と思うという話はよく聞く。
わたしはそうは思わなかった。そしてわたしのように「そうは思わない」層は一定数いると思う。
これは、集団の中で「班長さん」的な立場が発生した時から、そのポジションを担う経験が多かった層だと思う。
つまり、そういう役回りになることにどこか慣れてる。
「誰かがやらなきゃならないことは知っているけれど、それはわたし以外の誰かがやることだ」というふうにならない。
「ああ、わたしがこの荷物をもったほうがいいのか。では持つか」。この感覚というか。
生まれた子どもに障害があれば、それは驚くし衝撃なのだけれど。なんかどこかで(ああ、こういう担当か)みたいな感じもあるというか。

しかし、コロナに関しては全く違った。
なぜ、わたしなんだ。
なぜ、わたしだけが。
危ないことはなにもしていなかったのに。
なぜ、わたしだったんだ。

ずっとこの沼から出られない。