リツエアクベバ

satomies’s diary

紙のゴミ

明日は週一回の資源ゴミの回収の日。なので、放置していた部屋の本棚と格闘することにした。

北向きの小部屋に大きな本棚がふたつと、その上にさらに棚を作り山ほど本を置いた。元々が活字中毒だった上に娘に障害があり、読みたい本や欲しい本が山ほどあった。

小説系はブックオフ、障害系は図書館に通った。手元に置きたい本は買い直した。障害系の、もともと発行部数が少ない本は購入した。

情報として古くなったもの、必要がなくなったもの。それらをちょっと前に処分したが。まだたくさん本はあった。「あなた死ぬかも」と言われたときに、あの部屋の本どうしようと思った。ただ捨ててもらうにしても多すぎるよなと。

さて、明日は資源ゴミだ。やっつけようと。とにかく文庫本は全て処分することにした。変色してるし、しかし最大の理由は「今の視力では文庫本はきつい」。

ぼろぼろの文庫本の中で残したもの。

亀海昌次による、森瑤子への追悼文が巻末に収録されていて。この文章が好きだから。かつて結婚を約束する恋人同士だったこの二人が、森瑤子の父親に若さゆえの傲慢さを指摘され。二人は乗り越えられずに別れる。そして、長い年数の中で共著のエッセイ集を出す「友人」となる。

森瑤子は病気になり、余命が残りわずかな頃。森瑤子の夫が亀海氏に連絡する。もう時間は残り少ない、彼女に会いに来てくれと。そして会いに言って、話して、別れたという話。
人生とか、人を送るとか、若い時に感じ入った文章だった。

エッセイ自体は悪いけど、なんてこともないもので、捨ててしまうことにあまり未練はない。
ただこの追悼文は、ここで捨てたら二度と読めないだろうなあと思ったので保管。しかし変色した紙の小さい文字はつくづくきつい。

「1週間後、地球に隕石が激突する。人類に逃げ延びる道はない」
この絶対的な現実の前で、人はどんな行動をとるのか。
ということを、いろいろな人のドラマで見せていく小説。出てくる人物の「人生」について、時々考えることがあり。そうした思考の材料になったような気がするから。わたしにとってこの本と似たような「好きな本」は「桐島、部活やめるってよ」。

わたしは子どもの頃からとにかく、ばくばくばくばくと本を読んだ。
しかしもう、視力がきつい。単純に見えない読めないのではなく、目が疲れる。そして文章に対しての集中力が落ちた。

昔は勢いがあり、気に入った本の再読も好きだった。しかし今はその「体力」が衰えた。
もうたくさんはいらない。好きなものを少しでいい。

障害系の本は、たいがいはもう情報が古い。自分の中の基礎になったものだけ残す。
小説は、ハードカバーの単行本はけっこう残す。またいつか、取捨選択をする。