リツエアクベバ

satomies’s diary

60本

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奥さんの誕生日に、年の数の薔薇を買って帰る男の人がいました。それは恋人だった時に始まりました。

男の人は、とても忙しく働いている時期があり。仕事がひと段落つく夕刻に花屋に行き、職場に花束を置いて仕事をしていた時期もありました。

大きな花束を抱えて電車に乗ると、時々声をかけられることがあったそうです。それは自分より年上の男性に「奥さんに?」と聞かれるのだそうです。

花束は、年が経つにつれてだんだん大きくなりました。奥さんは「10で色を変えた一本とか」と言いましたら、男の人はとても悲しそうにしたので、二度とそうしたことを言わないようにしようと思いました。

ずっと続けていると、人はみな、同じことを聞く。と、男の人は言っていました。「60歳になっても?」。
当たり前だ、と、男の人は言っていました。それができる経済力とそれを持って歩ける体と、が大事なのだと言っていました。

いつの頃からか、買う本数が多いので花屋に予約が必要になりました。今年はいつ頃予約に行こうか。そんなことを思い始めた頃、奥さんは病気になりました。苦しんで苦しんで、そして病院に運ばれて行きました。

やっと安心できると思ったら、奥さんの主治医から連絡がありました。

「あなたの奥さんは、入院してからも状態は悪化しています。このまま回復しなければ、奥さんには特別な治療が必要になります。まだわからないことが多い病気なので、その治療が成功するかどうかの約束はできません」

そうした医師からの言葉を受け止めた時には、男の人の体調も悪化していました。医師からの説明の二日後、男の人も入院しました。

わからないことが多い病気は、深刻な状態を受け止めなければならないこともありますが。要するに体がウィルスとの戦いに「どの時点で勝つか」ということ。
奥さんの体は、ウィルスとの戦いにおいて優勢に転じ始め。回復します。
男の人も順調に回復、奥さんの誕生日には、ふたりともおうちにいることができました。でも男の人が退院したのはつい二日前で、花屋に予約をすることも、花屋に行くこともできませんでした。

「60本だったのに。記念すべき年だったのに」

男の人はとても悔しがりました。「すごいことが起きた年だったね」と奥さんが言いました。
男の人はネット通販を探しましたが、奥さんは止めました。
「わたしたちはまず、元気にならなくちゃ」。

奥さんの誕生日からしばらく経った頃、男の人が奥さんに言いました「花屋で予約をしてきた」。

5月15日、男の人は大きな花束を奥さんに渡しました。奥さんは受け取った花束を足元の壁のところに置き(大きいので余裕で「立つ」)、男の人に思いきり飛びつきました。

そして男の人に聞きました。
「買えないかも、って思った?」

「ちょっと思ったよ」と、男の人は言いました。奥さんは泣きました。「ああ、死ななくてよかった。生きていてよかった」。

日が経つにつれ、思うことは。「わたし死ぬかも」よりも、「あなたの家族が死ぬかもしれません」の方がずっと辛いのだなということ。それを受け取って生きていかなきゃならないから。

悪い夢みたいな四月だったな。