リツエアクベバ

satomies’s diary

家族考

はてな匿名ダイアリーから。

anond.hatelabo.jp

実に濃い文章なのだけれど、キモはたぶんここ。

どうして自分が産まれたのかについてかなり悩んだことがある。なんなら今も悩んでいる。
私は介護要員として造り出されて産まれたのだろうか、と。
もしもそうだったら、私は結婚せずに実家にいて、家族が全員旅立つ日まで世話をし続ける想定だったのだろうか?
まだ怖くて親には聞けていない。
まぁ聞いても本当のことは言わないだろうが…

内容というより、たったひとりで自分以外の家族を遠くから見てる。
この視点。この人をひとりにした要因は何か、ということ。

特にここだよなあ、と思う。

まだ怖くて親には聞けていない。
まぁ聞いても本当のことは言わないだろうが…

よく思うのだけれど。自分が障害がある子ども産んだからといって、自分が「障害」に対して「正しく、道徳的にあろうとすること」の、副作用というか、弊害ってあるよなと思う。
急に「差別」だなんだと、正しくあろうとすることって、そりゃ障害ある子どもを守ろうとすることなんだろうし、そりゃ正しいことなんだろうけれど。

でも、そういうのって、「障害ある子ども」じゃない方の子どもを、なんかどこかにおいていくぜ?って要素はあると思う。

あのさ。
人間には「毒」って必要よ。
きょうだいの子が障害に対して差別的感覚をもつことに、おそれる必要はないのよ。
ふつうにその子が雑多な吸収を、自分で整理していく自由、って必要よ。

とか、思うんだよな。

最初っから、障害に対して正しくあれ、って。そう子どもに押しつけていくことは。
その子どもを、どこかひとりにしていく要素があるんじゃないかな。
押しつけているつもりはなくても、親が障害に対してもつ気持ちを、感じ取って見つめながら育つとか。
そういうのって、どうなんだろう。

とか、思うんだよな。

まあわかる人にはわかる話で。
わからない人にはわからない話、だろうなあ。