リツエアクベバ

satomies’s diary

今日、葬儀屋さんが来た。葬儀のお金を支払う。振り込みでもいし、集金でもいいと言われ、それではとなんとなく集金を選んだ。

諭吉が大軍を組む。これだけ大きな額になると振り込みの方が安全と考えるのが普通じゃないのか。いや、葬儀の場合は香典として家に現金があるから集金の方が安全とかあるのか。など、集金を選んでからそのあとで夫と話す。父のときは振り込みだったな。でも、大金になる現金を銀行に持って行ったなと思う。

家で通夜、告別式を執り行ったが。式場でやるように葬儀屋さんが司会をした。家に祭壇を組んだ。棺を運び出すのに、火葬場に車が出るための交通整理など、人手はたくさん出してもらった。遺体管理、棺、骨壺。寺に納める分も。人が死んで終わるためにはけっこうな金額が要る。

息子に説明する。今後わたしたちに経済的にどんなヤバいことが起きようとも、葬儀代に必要な額の生命保険は組んである。義妹の分も。人を送るには金がかかる。もうこうしたことを具体的に教えられていい年齢だと思う。

家族葬が一般的にはなってきたが。参列者にふるまう分の金額は減るかもしれないが。香典という名の家同士の「相互扶助」のシステムは崩れる。しかしもう、やったりとったりの香典システムはごく身近な関係以外は終わっていくのかもしれない。

通夜のときは、宅配寿司の店から寿司会席の出前をとった。告別式の日は、火葬場の休憩室で食事をした。その会計は葬儀屋にまわり、総額で請求という形になっていた。

今日、明細を見て少し驚いた。休憩室で美しい会席弁当をいただいた。そこでお料理の代金と消費税しか計上されていなかった。

ここではごく普通にレストランに行くようにサーブしていただいた。向かい合わないようにたがいちがいの配置に、セッティング。部屋に入るときやトイレに立ったりするときに、手を消毒するための人が入り口に立っていた。それなのにサービス料が計上されていない。

なぜ?と葬儀屋さんに聞いたら「10月からサービス料が計上されることになっています」とのこと。ずっとお料理代だけでやっていたそうだが、コロナの影響や家族葬の増加で経営が苦しくなっているのだそうだ。葬儀関連の仕出し屋さんで店舗をもたないところは、今年つぶれたり廃業したりが出てるのとこと。なるほどなあと思う。

葬儀屋さんが集金をし、諭吉の大軍をばさばさと数え、明細を説明し領収書を差し出した。

夫と義妹とわたしと、お世話になりましたと頭を下げる。葬儀を出す側出す側の近くにいる場合とかに、よく思うけれど。葬儀屋さんというのは癒しの職業だよね。寄り添い、手伝い、共に送る。

お茶をどうぞ。ではいただきます。
ここでわたしは(あっ)と思う。思ったので夫に言う。「こういう顔の人だったんだ」。

ずっとマスク姿で向かい合っていたのでね、ちゃんと顔を知らなかった。見ていたのは目と鼻の先っちょだけで。やっと顔を見たのは別れのときで。そんな人間関係は、なんか少し新鮮だった。