リツエアクベバ

satomies’s diary

9月22日

昨日の続き。

9月22日の電話の履歴を見る。

  1. 18時08分
  2. 21時35分
  3. 22時04分

18時08分

日中落ち着いていた舅が夕方急変。「医師を呼んだ」と義妹から電話があったのが「18時08分」。

医師は点滴を追加しようと所持してきたそうだが、この時点で血圧が上が50ということで診察のみで終えた。いつとは言えないが、長くないとの話だった。

夫が行き、一度帰宅してきょうだいに電話。わたしが実家に行き、舅のそばにはりつく。このとき、今晩かもしれないが、なんとも言えなかった。
呼吸が苦しそうで、胸をさする。こんな苦しい時間がまだまだ続くのかと思うと辛かった。ひたすら涙が出て、義妹にごめんと言った。生きてるのに、しかもわたしが泣いてちゃだめだ。

義妹にシャワーを浴びさせて、家に戻る。

21時35分

「呼吸が弱くなった」「たぶんもう看取りの時だ」と義妹から電話。
わたしと娘が風呂上りで、夫は入浴中だった。夫に声をかけて、娘と風呂まだ息子と3人で実家に行く。舅の呼吸が弱々しくなっていた。感情を抑えるタイプの義妹がぼろぼろと泣いていた。すぐに夫が来た。

ただ、ここからどのくらいの時間で送るのかはわからない。娘が落ち着かなくなったので、娘を連れてわたしだけ戻ることにした。娘がおじいちゃんに「さようなら」と言った。

22時04分

息子から電話が来た。呼吸が終わる、手が冷たくなった。
娘に「どうする?」と聞くと寝るというので、自室に行かせる。
「おやすみ、おかあさんはおじいちゃんのところに行くね」と言うと、ベッドに入った娘がわたしに手を振った。

実家に行くと、舅はもう動かなくなっていた。最期は、九州の義妹とビデオ通話でつないだそうだ。2006年に姑を送ったとき、最期に九州の義妹とガラケーでつないだ。時代の機器が変わったね。

医師に連絡をし、それからあいた口をしめるために顔にタオルを巻く。

死亡確認

医師が11時近くに到着。医師が舅に「○○さん、がんばりましたね」と、まるで生きている人のようにきちんと声をかけた。失礼しますと舅に声をかけて、「10時55分、死亡を確認しました」と言った。

書類を書き、この後のことを説明される。介護保険の事業所に連絡して、ご遺体に対しての「エンゼルケア」を依頼するように。それから葬儀屋さんを呼ぶようにとのお話。次々とこの先の扉が開いていく。

葬儀屋さん

なんとなく、姑の時の葬儀屋をと思っていた。地元の業者さんで昔からのこの地の方で、舅にこだわりがあったから。ただ、ひょっとしたら廃業しているのではとも思っていた。
連絡してみたが、電話はつながらなかった。近所の「舅の妹の息子」に電話をかけ、亡くなったことを伝え、葬儀屋の提案をしてもらった。医師も義妹も知っている業者の名前が出たので、そこに連絡。「エンゼルケア」の看護師さんより先に葬儀屋さんが到着する。

祭壇準備

家で家族葬、と希望を伝える。安置に関して、ドライアイスも使うが冷房をかけっぱなしにできる場所と指定される。居間に電動ベッドを置いていたのだが、舅の寝室に布団を敷くことに。

「エンゼルケア」の看護師さんが、お仕事を進めていただいている間に、舅が眠る場所の準備を始める。

お供えするご飯やお団子。明日でもいいとの話があるが、わたしがお団子を作ると言う。たいした手間でもないのだが、自分の台所でやりたくて一度家に戻る。

白玉粉でころころと団子を作り、冷凍庫のご飯を解凍する。持って戻ると、きれいにしてもらった舅が寝かされていた。線香の用意も終わっていて、すっかり「仏様」になっていた。

帰宅

医師、看護師、葬儀屋と、いろいろな人の車が並びいろいろな人が仕事をして、そして帰っていった。

息子が先に戻り、そしてわたしと夫も帰宅。時計を見たら1時少し前だった。いやー、1時になる前にいろいろ終わったねえとふたりで言う。

22時あたりだったことに感謝する。2時とか4時とかだったら、大変だった。