リツエアクベバ

satomies’s diary

感じること

娘の通う事業所は、緊急事態宣言前に在宅要請を利用者に出した。まだどこの事業所も対応していなかった。緊急事態宣言後、短縮や在宅要請の話を聞くようになったが、完全在宅に入った利用者がいる事業所の話は聞いたことがない。

希望すれば最大週二回、家庭事情や本人の状態に応じて週三回もあり。通所希望を二週間ごとに聞かれる。来週までの予定で完全自粛者は約3分の1。再来週からの予定が今日出た。完全自粛者は少し減り4分の1になった。

希望すれば週二回。原則、在宅要請。うちはまだ一度も希望を出していない。4分の1にいる。

午前中に渡された作業をこなし、午後は母と外を歩く。事業所から渡されたDVDで体を動かす。毎日電話が入り様子を聞かれ、娘本人が職員さんと少し話す。週に一度、職員さんが訪問する。これはこれで、生活になった。娘は毎日の電話と訪問を理解している。社会とつながっていることを、わたしはなんとなく感じるようになった。

持たされた作業は4種。うち1種は頑としてやらない。職員さんの言うには、この作業はいつも全員で一緒にやるものだと。拒否はそこが関係しているのかもしれないとのこと。

家族はやっぱり、織り機が来たのがとても新鮮だ。娘が織り機を扱う姿は何度見ても飽きることがない。ひとりでできることの多さと熟達に心からリスペクトを感じる。

そうやって生活は回る。もうすぐ2ヶ月になる。特に困っていることはない。
でも。他の事業所が6月から元に戻る話ばかり入ってくる。心はとても波立つ。これは、嫉妬だ。自分たちに手に入らないものを手に入れる人たちがいる。

今日の事業所からの電話でその話をする。わたしは他の事業所の利用者に嫉妬している。

でもね、それと同時に緊急事態宣言解除後にすぐに通常に戻れることに不思議を感じるのだとも話す。支援の現場は明らかに密接だ。換気で密閉をなんとかできても密接はどうしようもない。人数をなんとかするしかない。「教室」ほどの広さを確保できていない空間での6月すぐの通常復帰は、単純に(どうするんだろう)と不思議でしかない。

その状況を、職員はどう感じるのだろう。自分も個人的に他の事業所の話に、単純な疑問はたくさん生まれるのだ。そう職員さんは返す。

たぶん。うちの子に限って感覚かもしれない。と、わたしが返す。もうきっと、うちは大丈夫なんじゃないか、とか。そうやって職員は職場で通常の状態で働きながら、家庭でこぼすのかもしれない。

でもさ。感じることをやめないようにしようよと思う。とわたしが言う。わたしはだから、他の事業所の利用者に嫉妬するんだと口に出す。それは結論じゃないんだ、感じることなんだ。

感じることをやめないようにしようよ。今、通常復帰は危ないじゃんと思ったら、やっぱりそれを感じることをやめちゃいけないんだと思う。感じることをひとつやめたら、感じなきゃいけないことも見えなくなる。

在宅要請を受けてくれることに感謝をしている。と、職員さんが言う。在宅要請を受けてくれる人がいるから、うちの事業所は何も起きず、無事がまもれているのだ。と、職員さんが言う。

ああうれしいなと思う。感謝されることがうれしいのではなく、無事を当たり前のことと思っていないこと。無事を自分たちが作ろうとしていること。

リーダーが決めることにただ従うのではなく、職員さんひとりひとりが自分で感じること、考えることをしている。毎日電話で職員さんと話すので、そういったことがよく伝わってくる。話す相手はひとりじゃない。わたしとの会話に各々の個性を混じえながら話してくれる。

まあとにかく。わたし自身は嫉妬もするが、現状「with コロナ」とか言われる新しい生活の仕方は、今の事業所では人数制限が必要だと思う。感じることを見せながら、「原則在宅」ではなく、「全員交代で通所」になるのをじっと待ち続ける。