リツエアクベバ

satomies’s diary

人魚の眠る家

プライムビデオの閲覧可能映画に「人魚の眠る家」が加わった。どんな映画か忘れたが、関心があったことだけ覚えていたので観た。

ningyo-movie.jp


子どもの脳死と家族がテーマ。くだらない感想としてまず西島秀俊。真面目なセリフを言えば言うほど、ラ王がちらちらしてしまう。CMでつくイメージにはもっと慎重になろうよとか思ってしまう。

テーマにそった感想としては。ふつうの人はあんなにお金をかけられない、フィクションとして追い込んでいく「設定」からえぐり出すものとは。と思う。
娘の葬儀で父親と脳神経外科医との会話で父親が「自分にとっての死は、やはり心臓死だ」と言い、それに対して脳神経外科医は「そうだとすれば、娘さんは生きている。この世界のどこかで」と言う。

ああ、と思う。臓器移植を語る時ってそれだよなと。だからわたしは臓器移植は嫌なんだ。
わたしは嫌だ。臓器移植は絶対に嫌だ。自分の死体なんてどうでもいい。夫の臓器も子どもの臓器も世界中の誰にも渡したくない。
理由は「嫉妬」。燃え上がる「嫉妬」。わたしの大事な人が死んでるのに、誰かがそれで生きるのは受け入れらない。あげたくない。凄まじくケチ。

夫はもうジジイだから脳死で渡せる臓器に限界もそろそろくるだろう、シメシメ。
娘は染色体異常で細胞レベルで一般的とはほど遠いから、誰も欲しがらないだろう、シメシメ。
息子の臓器は絶対やらん!と思っていたんだけど。この映画を観終わって、なんつーか「子どもになら」とか思ってしまった。息子はもう大人だから、子どもを助けてやることに手を貸してやりたい、みたいな。まあ、子どもに必要なのは子どもの臓器なのでそんな仮定はないんだけどね。だから結論はやっぱりいやだ。わたしはこころ狭いわね。あげたくない。

でもこの映画のように何年も生かしておくことができるのなら。もうわかった、ただ焼いてしまうのなら誰かにあげようよと自然に思うのかな。わからないけどね。