リツエアクベバ

satomies’s diary

がんばろうかな

10年ほど前に、毎日新聞論説委員野沢和弘氏の講演を聞いたことがあった。「障害者の虐待防止」がテーマだった。

招いたのが親の団体だったことで、野沢氏は自らの体験を通した「親としての虐待」の話もされた。

「親としての虐待」のひとつには、本人の口を塞ぎ、本人にとって不利な現状を押し付ける、というものがある。そこには往々にして「お世話になってるから」がからんでくる。いいえ、いいえ、いいんです、平気です、大丈夫です、お世話になってるから。お世話になってるから。

これに対して「おい!」と、
「おまえはおれの代弁者としての役割を、勝手に棄てるんかい!いーんです、じゃねーんだよ!」

そういう本人の「声」を塞いでしまうのは、親からの虐待である、と。そういう話だった。

今日、娘のことでいろいろあった。いいえ、いいえ、大丈夫です。とは言わなかったが、「仕方がないから受け止めます」と、今日わたしは言った。
受け止めたくないんだよおおお、と言うのは言った。でも、そのことで相手がちゃんと傷ついてしまうのを知っていて、やり切れなくなった。

本人に不都合なことが起きる時。混乱したり、心身に影響が出たり、行動障害が起きたり。そういう障害個性があるときは、支援も細かくなるだろうと思う。
わたしの娘は聞き分けがよく、我慢強く、周囲の状況に対して寛容だ。すぐに、許す。わたしもそうやって、わたしの不手際から起きた様々なことを娘にすぐに許されてきた。「ちぃちゃん、ごめん!」に対して「いーよー」とあの子が言わないことはほぼ無い。

でも。ちゃんと心は動いていて、動いていることで「許す」を選んでいることを忘れてはいけないんだなと思う。

しかしな。人に何かを訴えて、それはちがうと言うことは。本当にエネルギーが必要で、疲れる。

でもがんばる。わたし自身の心の動揺もあるが、やっぱりがんばらなきゃな。支援が必要な人間の口を塞ぐ側にはなりたくないからね。