リツエアクベバ

satomies’s diary

ペットあれこれ

今日、犬を抱いて歩いてる人がいた。5〜6キロくらいの犬。小さくはない。
同じ方向の少し前を歩いていたから、なんとなくずっと眺めて歩いた。
犬は抱いて歩けるんだなあと思った。猫は抱いて歩けないよね。なにすんのよ、やめてよ。自分で歩くわよが猫だ。リードができる猫は稀だし。

でも重そうだなあと思った。抱いてる女性もけして若くはなかったし。
と思っていたら、ぽとんと抱いてた犬を下におろした。
犬は。歩き始めて、すぐに足がもつれて転んだ。また歩き出したけれど、よろよろだった。高齢なんだな。

先日、60代の知人と話していて。その方はペットを飼っていないのだけれど、最近のペット飼いはけっこうな医療費かけて高齢になっても丁寧に飼うのだねえと言っていて。昔は適当に食べさせて適当なとこで死んだりしてたよねと。

まあ確かにそうで。雑種の犬はあちこちにいたし、野良猫はあちこちにいた。
医者に診せない家もごくふつうに存在した。だいいち、こんなにあちこちに動物病院など無かった。
でも今は素性のあやしい犬は珍しく、野良猫はいなくなり、カタカナ名前の種類の猫が普通になってきた。動物病院はあちこちにある。飼い方の常識は昭和とはぜんぜん違う。
うちの猫は多分捨て猫のラスト世代にあたるのかもしれない。

そうやってきちんと丁寧にの飼育が当たり前になってくると、もうそうそう子犬や子猫を飼う体力も気力も経済力もなくなりますわな。
嫌な言い方だが「替えがきかない」というのは、丁寧に飼うに拍車をかけていくような気もしますよ、と、わたしが答える。

猫が死んでしまってとてもさみしいのだが。外に出してはいけない猫というものをわたしは知らず、新たにそういう飼い方で自分が猫を飼える気がしない。
追えはしなかったが見張りをしてくれた猫が死に、庭には尻尾の大きいクソネズミ(タイワンリス)が我が物顔に飛び回り、とても苦々しい。
野良猫に是非とも集まっていただきたいが、そんな生き物はもううちのあたりには見られない。

あのクソネズミ(タイワンリス)ども、誰かなんとかしてほしい。
柚子も琵琶もヤマモモも、オマエらのために植えているのではないのだ。
一気に食い尽くしていく様は、ほんとヤバいですぜ、アイツら。