リツエアクベバ

satomies’s diary

梅の蕾ふくらむ休日

天気がいいので夫と娘と大きな公園へ出かける。白髪頭の若ジジイと小柄なぷくぷくした若い女性が腕を組んで歩く。その姿を後ろから眺めながら、平和な幸せを満喫する。

はてなダイアリーでせっせと日記を更新していた頃の一時期、何書いてもなんだかざらっと引っかかるような、そんなブックマークコメントを書き続ける人がいた。「そういうあなたの感覚からあなたの外見が浮かび上がる」と、どっちの方向から解釈していいかわからないようなコメントをうすら寒くなるような冷酷な言葉と共に並べられたり。複雑な気持ちで眺めていたことはあったなあと思う。

その人が、わたしの書く日記の文章に「女はネットに自分が幸せだと書きたがる」と評したものがあった。「女は」と言われましても、とも思ったが、ブクマコメント自体別に何書いても自由なものだから別にいいじゃんと思って流してしまったが。それを思う根底をもっとちゃんと聞いてもみたかったなと今は思う。この人はいつのまにか消えてしまった。

「女はネットに自分が幸せだと書きたがる」のがどうなのか、わたし自身はよくわからないが。それでも今日、わたしが平和な幸せを満喫したのは事実なので仕方がない。

大きな公園の中で、並んで歩く大人の男性の二人連れとすれ違った。若い男性は年配の男性の腕をとり、頑なな顔で一心不乱に歩く。縁の無い人には不思議な二人連れに見えるだろうが、こちらとしては要するにお仲間なわけで挨拶をわざわざするわけでもないが「こんにちは」的な感覚はある。単純に一言で言ってしまえばダウンと自閉がすれ違ったと、そういうことだ。

一見不思議な二人連れに見えるかもしれないが、彼らにとっても今日のようなお天気のいい梅の蕾ふくらむ公園のお散歩は、そこそこ平和な幸せな休日の一コマだと思う。

ダウン症の赤ちゃんのママと話す機会にいつも言うことがある。この人生、そんなに悪いもんでもない。薔薇色だとも言わないし、愛がどうとかとも言わない。成長の節目節目で思い悩むことも実際ある。それでもなんというか、この人生そんなに悪いもんでもない。

幸せだと、声高に叫ぶ必要も理由もないが。今日のような、実に単純なほっこりとした幸せを、手のひらを広げてそっと眺めたい気持ちになることはある。それはずっとずっと前のわたしに「この人生、そんなに悪いもんでもないから心配するな」と言っているのかもしれないね。