リツエアクベバ

satomies’s diary

人気ドラマ

amazonプライムで「愛していると言ってくれ」を見て、ざらざらといろいろ残った。うーん、なんというか、これが人気ドラマだったのか、と。自分の中に残った最大の感想は「ウルトラマン」だった。ウルトラマンには「物語導入部→怪獣出現→人間が戦う→ウルトラマン」という構造がある。水戸黄門でもいい。物語の導入部から黄門様の庶民的扱われシーンがあって、周囲のキャラ立ての分数があり、格闘があってその末の印籠。わかりきったそうした構造がある。「愛していると言ってくれ」は、なんかそういうわかりやすい構成みたいなのがちらちら見えて、なんかねという感じだった。ラブラブ→事件→ラブラブ→事件と、ジェットコースターの上り下りのように刺激的な展開が起きる。その展開の構成の計算がすけて見えている感じ。
ウルトラマン水戸黄門もこうした構成は見えてていい。そういうお約束すら楽しめる方のドラマだと思う。でも、恋愛ドラマにこういう構成のための計算がちらちら見えるってどうなんだ?と思う。構成は存在しても、ちゃんとストーリー展開でその構成の上にちゃんとのったリアルなドラマが必要なタイプの方なんじゃないの?恋愛ものってと思う。ドラマの展開のための骨組みがちらちら見えるのはなんとも興ざめだと思う。
とにかくストーリー展開の裏付けがお粗末なところが多い。ヒロインの友人が妊娠しているのだけれど、この友人が三ヶ月のあたりでまだはっきり付き合ってなくて、五ヶ月にはもう別れてる。しかもその間に同棲も始まっていてそして終わっている。どんだけ忙しいんだ。その間にヒロインは不安で大騒ぎしまくって、好きだのなんだのきゃーだの不安だのと叫びまくり、しかもそのたった二ヶ月かそこらのうちに二人の男と寝てる。すげーよ。
何年も付き合って結婚まで考えた元カノより、この前知り合って大騒ぎしまくってる今カノの方が存在が大きい。ストーリー上はこういうことになっているけれど、そういうことになっていますというからそうですかと理解して見てるけれど。今カノの方が彼にとって存在が大きくなる確固とした理由はぜんぜんわからなかった。まあむりやりこじつけて納得することはできるけれども。そうやって見てる側にむりやり隙間を埋めさせるってどういうことだと思う。
まあ人気ドラマであったということは、見てる側がそうやってむりやり隙間を埋めたということだ。それはとにかく豊川悦司の力だと思う。なんだあのイケメンぶりは。力なく笑うみたいなとこの破壊力がすごいね。
お粗末過ぎて笑えるのは、元カノが雨の夜に男のとこに現れる回。雨に濡れまくって男のとこに駆けつける。男が家に入れるのを拒否すると雨に打たれながら踏切に飛び込もうとする。なんだそのすごい傷つき方の問題ってのはなんだ。なんでも子どもをとられたとかなんとか。は?なんでいきなりそういうことになるんだ?伏線もなくいきなりだ。女と逃げた元夫がなぜ母親から子どもを取り上げにくるんだ?しかも急に。そしてその後、ほんとに急に子どもは取り戻せる。わけがわからない。なんかしらけて見てた時間はあるので、そのときになんか大事なことを誰かが言ってそれをわたしが聞き逃してるとかなんとかなのか。わからなかった。変なの。
要するにこういうお粗末さがしらけるんだ。これはあれだ、元カノが飛び込んできて疑惑のネタを落としていく。その展開に男を協力させるための「出来事」が「構成上」必要だったというか。そのために多少の辻褄合わないことは我慢してください、ってことですかと思うんだよね。すみませんわたしはぜんぜん我慢できませんでした。LoveLoveLoveの魔法にはかからんかったよ。
ドラマ見終わってちょこちょこ周辺の情報をネットで拾って閲覧してたら、ちょっとおもしろいエピソードがあった。常盤貴子徹子の部屋に出たときに言ってたと。豊川悦司がいろんな出演者と話してるのに自分とは話してくれない。で、第八話の脚本についてどう思う?とある日聞いてきたのだけれど、その時なにも答えられなかった。そうしたらその後全く話してくれなかったとかいう話。この話を読んで、八話ね、ふうんと思った。いやなんでもいいんだけれど。あの、構成がちらちらして各所で変なところがある脚本の隙間を見事に埋めていったトヨエツは、八話の何を共演者と話したかったのかなあと思ったので。九話の方が変だけどね。
まあ変でもなんでも、かなり遅れたタイミングでトヨエツの洗礼を受けた。次にプライムで見たのは豊川悦司で検索して出した映画でしたとさ。ああ、言いたくてたまらなかったことをずらずら書いたらすっとした。こんなこと誰かをとっつかまえてべらべら話したら相手にとって迷惑以外のなにものでもない。大声で誰かにしゃべってる気になれるネットって便利ね。