リツエアクベバ

satomies’s diary

映画「ちづる」を観に行った


横浜ニューテアトル11時の上映に間に合うように家を出る。20分前に到着。小さな映画館の小さな入口に次々と人がすーっと入っていく。その流れを見て、上映まで20分も余裕があるのに早く入らなければマズいような気がして後に続く。
小さな入口でチケット代を払い、細い階段を降りて上映室に入る。真ん中に通路、左右の客席は合わせて118席という小さな映画館。すでに3分の1くらいは埋まっていた。場内はがやがやがやがやとかなりうるさい。耳にイヤホンで音楽を聞きながら場内に入ったのだけれど、それでも(かなりの話し声だなあ)と思うほどに場内の話し声はけっこうなものだった。話し声は要するにオバチャン二人とか三人とか連れがなんだのかんだのってな感じの類のもので、(上映が始まってから、ひそひそ感想が飛び交うのかなあ、イヤだなあ)と思っていた。
わたしの隣の席にいらしたご婦人が、着席の前に振り返って会場全体を見渡して「なんでこんなに混んでるの?」とぼそっと言った。お一人でいらしていたのだけれど、思わず声に出して言ったひとりごとのようだった。微妙な時間差の後、わたしもそうっと振り返ってみた。あらホントにけっこうな混みようだ、と思った。平日11時の上映で映画館にこんなに人がぎっしり入ってる光景というのはなかなか無いよな、と思った。
するすると幕が開き、上映が始まった。あんなにがやがやとうるさかった場内は見事なほどにぴたっと静まった。上映中に話し声やささやき声が耳に入ってくることは皆無だった。あのがやがや一族が一変して集中空間を作り上げていた。
上映中、(ヤバい)と何度か思った。ヤバいよヤバいだろ、と。いや、この映画がそもそも卒業制作として学内発表で終わる予定のものだったということを考えてしまって。いやそれはヤバいだろ、と。そこで終わらせちゃいかんだろ、と。そういう、この映画のたどった道筋みたいなものを考えてしまった。そうか、この(ヤバいだろ)を感じた人々がウェーブを作っていったのか、という実感のようなものがあった。
上映が終了し、人々が立ち上がった。前から三列目の中央にいたわたしは、帰るために立ち上がるという動作の中で、後方の客層を確認することができた。年齢層が高い。40代から70代が中心という感じで、50代以上の方が多いような印象だった。
上映会場を出る列を進みながら、映画館の人の声が聞こえてきた。「パンフレット」「おかあさんが書かれた本」と聞こえてくる。本も売っているのか、と思いながら、売店にて両方購入。上映が終わっても、まだまだこの家族が見えるところにいたいような心境が続く。
細い階段を上がって外に出ると、長い人の列ができていた。長い人の列をずっと目でたどっていくと、「最後尾」と書いたプラカードをもっている人が見えた。つまりそのプラカードを用意することがすでに想定されている状態なんだな、と。いや、この映画はあなどったらいかんと思った。これからどんどん客は増えていくだろうし、増えていって欲しいと思う。上映される地域ももっと増えて欲しいと思う。
DVDが欲しい、この映画…、とも思った。繰り返し観たいシーンがいくつもあった。しかし残念ながらDVDが制作される予定はまだ無いらしい。是非DVDの制作も進んで欲しいと思いつつ、でも実は、居間でのDVDよりも「上映館の中という『逃げ場の無い空間』の79分間」で、あの家族を体感する経験の方がいいよな、と思う。だから上映地域も上映館ももっと増えて欲しい。急にわっと増えなくてもいいから、じわじわと上映が続いて欲しいものだと思う。ちなみにわたしは横浜上映期間中にもう一度観に行くことを今日決めた。
映画自体の感想は明日以降の更新の予定。