リツエアクベバ

satomies’s diary

停電

何がどう起きているのか起きたのか、と、「怖い」という声が聞こえた薬局に顔を出した。「地震のニュース、わかりますか?」
「停電です、何もわからない」と、白衣を着た女性が答えた。「電話も使えない、何がどう起きているのかもわからない」。そう言いながら外を見て、「ああ、信号も消えている」と。そうか、信号が消えた時点で停電だったのかと思った。
気をつけて、と言い合いながら別れて、また歩き出した。100均のお店の駐車場に人がたくさんいるのが見えた。あれ?と思ったら、その向かいの大手スーパーの駐車場にも人がたくさんあふれてた。お店のドアは閉じられて中は真っ暗だった。そばの人に聞くと、地震が起きて店員さんに誘導されて外に避難したとのこと。停電でレジが動かず、復活のメドが立たないので今日はこのまま閉店だと言われたとのこと。携帯を開く人の群れ。(いや、みんなでそれをやると絶対つながらないぞ)と思った。以前、花火大会の会場で携帯を取り出したら、あっという間につながらなくなったことを思い出した。
エンジンかけてラジオをつけて、ドアを半開きにしている車がいた。多分ラジオが周囲に聞こえやすくしてくれているのだなと思って、遠慮無く聞いてみた「震源地とか震度とかわかりますか?」。この時、北の方で関東大震災を超える規模の地震が起きたのだと聞いた。早く、早く家に帰らなければ。舅と義妹が心配だった。駐車場の車は信号の消えた交差点へ、一台また一台とゆっくりと動き出した。
このあたりから10分ほど歩く間に、また余震があった。家にたどりつくまでに何回あっただろう。さっきに比べればたいしたことはないが、でも、外で感じる地震としては大きかったと思う。だって揺れてるのがすぐにわかったもの。揺れると家の中からすぐに人が顔を出す、玄関から外へ出てくる人がいる。見知らぬ人と声を掛け合いながら、声を掛け合うことで落ち着きを取り戻そうとしながら、家への道を急いで進んだ。
自宅は外から見た限り、何も変わらぬ普通の姿だった。家の中はわからんぞと思いながら、そのまま通りすぎて夫の実家に向かう。舅と義妹の無事を早く確認したかった。家まで行くこともなく、自宅を過ぎたすぐそばのところに近所の年寄りと一緒に舅と義妹がいた。彼らのそばで舅のラジオがNHKニュースを流してた。家の中にいてはいけない、外に避難しようと避難したのだと言う。「家は大丈夫?壊れてない?」と聞くと、それは大丈夫だと言う。すごい揺れたけれど何も壊れてない、壊れなかった。ただ、地震直後に電気が消え、そのまま停電は続いてるとのこと。
九州にいる末の義妹からメールと電話が来たと義妹が言う。電話?と聞き、自分も携帯を出してかけようとしてみるが、やっぱりつながらない。「携帯、つながったの?」と聞くと、こっちからではなく向こうからの電話を受けられたと。そこに再び電話がかかり、電話を代わってわたしも末の義妹と話す。「ハマボウルの屋根が落ちた。車や家が流されていく映像がテレビに映る」。何がどうなっているのかわからないが、末の妹の興奮モードで、テレビになにやら大変な映像が流れているようだと思う。見ることができないのでわからない。何か大変なことになっていそうだということはよくわかる。
舅と義妹と、それから近所の人たちとそのままそこにいた。何度か余震があって、そのまま入るのが安全だと思えるまでそこにいた。途中、自治会長が自転車で回ってきた。一人暮らしの高齢者の安否確認に回り始めたと言う。該当の方がわたしたちと一緒にいたので、安心して戻られる。
余震も落ち着いてきて、舅と義妹は帰るというのでわたしも自宅に帰る。スイッチを入れても電気はつかない。停電か、と、あらためて思う。猫が異常な鳴き方をする、怖かったんだろう。家の中は特に変化もなく、ただ、息子の部屋だけがタンスが傾いてた。こんなもんで済んだのか、と思った。後で夫が「平屋は強い」と言ったけれど、そういうことなのかもしれない。
そのままリビングの片隅に座り込んだ。上着も脱がず、ただ呆然としてた。さてどうしたらいいんだろう。携帯を取り出してあちこちかけてみるけれど、どこにもつながらない。夫と息子にメールを送って、あとは呆然としてた。
気がつくと時計は4時を過ぎてた。娘はいつも、4時には作業所を出る。ただ、今日は自力では帰さないだろう。どうやって迎えに行く?どうやってあの子は帰る? 電話を何度かけてもつながらないので、歩いて迎えに行くことにする。信号が消えている交差点を通っての運転は、怖くてわたしには無理だと思った。歩いて行こう。
通常はわたしの足で40分ほどだけれど、途中何があるかはわからない。景気づけにパンを一個食う。実家に行って義妹に「歩いて迎えに行く」と言う。「送ってくれないかしら」と義妹は言うが、「なにしろ連絡がつかない、行ってくる」と答えて歩き始めた。4時半か40分頃だったと思う。