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satomies’s diary

報道メモ

法人「計画白紙に」 知的障害者施設反対運動 愛媛のニュース/愛媛新聞社ONLINE 2011年01月14日(金)
松山市北部での知的障害者ケアホーム建設計画に対し、近隣住民らがのぼりや横断幕を設置して反対運動を展開している問題で、計画していた社会福祉法人「風早偕楽園」が13日までに、地元住民に「計画を白紙撤回する」と伝えていたことが分かった。
反対運動はシーサイドハイツ町内会(約100世帯、松山市久保・粟井河原)と近隣住民が展開。地区の資産価値が下がるなどの理由で、計画の白紙撤回を求めていた。
一部住民と開発会社が互いに松山簡裁に申し立てた調停が12日にあり、同法人の渡部宗一理事長が計画の白紙撤回を伝えた。同法人は現在、旧北条地区で別の建設場所を模索している段階という。
渡部理事長は撤回理由について「障害者自立支援法の新サービスへの移行期限が来春に迫っており、これ以上待つことはできない」と説明。「町内会の住民は知的障害者について知らないから拒否感や不安があるのは当然。責めるつもりはない」と話した。

このお話。けっこう多くの人が「あれ、あれはどうだったんだっけ」と思うんじゃないかな、というのが「青葉メゾン」。当時の住民の反対運動はけっこう報道されてたので。そんなことからこんな記事も。

asahi.com:8・街と歩む福祉へ一歩-マイタウン神奈川 2011年01月10日
手渡された1袋のあめ玉が、長い対立の終わりを象徴しているように思えた。
雪の日。横浜市青葉区奈良町にある知的障害者入所支援施設「青葉メゾン」の利用者と職員は、朝早くから、施設北側の住宅地に挟まれた道路の雪かきをしていた。汗を流して作業をしていると、一軒の民家から出てきた女性が利用者に「ごくろうさま」と、あめの袋を差し出した。施設長の中西晴之さん(54)は、その日の光景を6年近くたった今でも忘れない。あめを渡してくれたのは、施設を建設するとき、対立した住民の1人だった。「やっとここまできた」。もつれた糸がほぐれ始めたことを、中西さんは実感した。
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青葉メゾンを含む複合福祉施設が開設したのは1998年9月。施設建設をめぐり、地元では3年以上にわたって激しい反対運動があった。施設と道路を挟んで向かい側に住む宮本晴代さん(70)が、建設計画を知ったのは95年5月。自治会長や民生委員らを対象に市の説明会があったと知り合いに聞いた。寝耳に水だった。「目の前の住民に説明がないなんて」。不信感が募った。7月、ようやく住民説明会があった。当初着工予定の2カ月前。会場にはあふれるほどの人が集まった。納得していない人が多かった。「市がもう少しきちんと説明してくれていたら事態は変わっていた」。宮本さんは話す。
96年12月、市は着工に踏み切るが、住民らのピケで作業は断念。その後、施設を運営する社会福祉法人側と住民側双方が裁判所に仮処分申請し、争いは泥沼化する。97年、横浜地裁が法人側の申し立てを認め工事が再開。オープンを迎えた。しかし、感情的なしこりが消えたわけではなかった。「私たちは忘れない、納得しない、許さない」と書かれた看板が周囲にかかった。
知的障害者施設の利用者はもともと新しい環境に慣れるのに時間がかかる。近隣の民家に入り込んでしまうなどのトラブルもあった。中西さんら職員は、そのたびに頭を下げにいった。厳しい言葉を投げかけられることもあった。それでも、ほんの少しずつ事態は動いていった。利用者は施設からバスで作業所に通勤する。「おはようございます」。毎日毎日、あいさつする利用者に、あいさつを返す人が増えてきた。中西さんは毎年暮れになると、職員と周辺の家にあいさつ回りをする。開設直後は追い返されたこともあったが、年を追うごとに厳しい反応は減っていった。
2004年、近くに施設利用者が作るパン屋さんを開くと、近隣の人がたくさん訪れるようになり、交流が増えた。年末のあいさつで、ここで作ったクッキーを配ると「私もよく買うのよ」「あそこのパンおいしいよね」という言葉が返ってきた。地域にとけ込む様子が実感できた。
今では「近隣の人や施設で分けてね」と野菜をたくさん持ってきてくれる人もいる。「利用者の一生懸命な姿に理解を示してくれる人が広がっていきました」。中西さんは振り返る。
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開設から10年以上が過ぎ、周辺の3自治会は今、秋祭りなどを施設と共同で催すようになった。今月14日には施設の隣の原っぱで、どんど焼きをする。ここ数年は、住民と施設利用者が一つの火を囲んでいる。「地域の伝統行事に加えてもらえるようになりました」と中西さん。焼けた団子を、住民が利用者にも分け隔てなく手渡す。「ハンディを持っている人への自然な配慮や言葉かけがあるんです」
街が、優しくなった。そんな光景が、中西さんには何よりうれしい。
斎藤博美)

2011年1月14日、青葉メゾンでは地域の人々と利用者さんがいっしょに火を囲むどんど焼きが行われ、愛媛では「白紙撤回」のニュースが流れる。問題がどうのというより、もったいないような気も。その先に何があるか何が作れるか。その道はその地域からは絶たれたのだなあとも思うので。
また、「青葉メゾン」の経営法人である「試行会」のお話を、以下、「師 康晴著/ 出会えてよかった―絶対の差別の解消をめざして」より抜粋。

出会えてよかった―絶対の差別の解消をめざして開所から八年を経過した「青葉メゾン」は昨年私を理事長に迎え、新たな障碍者施設を地域の中に創り出していっている。本文にも出てくる「分場」を自前で建設し、小さな喫茶店やパン屋を運営している。地域の人を相手に知的ハンディの人たちが働いているのである。
また昨年12月には緑区に「あおぞら」という大型の活動ホームを建設した。知的障碍者が日中活動するデイサービスと宿泊や諸種の相談機能をもった施設である。横浜市の単独事業で精神障碍の人の生活支援センターと合築で建てられている。この建物の建設にあたり地元は好意的であった。法人の建設自己負担金約750万円を地元の方の寄付活動であっという間に集め、さらに募金活動で計1500万円を集めたのである。
10年前、「青葉メゾン」を建設するときとは雲泥の差であった。
「試行会」は反対運動のお陰で柔軟で強靱な法人になりつつある。一つの壁を乗り越えたといえる。

ちなみにこの書籍の本文中に「青葉メゾンの建設予定地として横浜市に土地を売却した地主は障碍がある子の親で、反対派から露骨な差別待遇を受ける。嫌がらせに耐えられず転居やむなしの事態になりそうだったところに人権擁護委員会介入」という話も出てきます。大変な時代を経てきたのだなあと改めて思います。
「風早偕楽園」の方々。また新たに新たな展開でがんばっていただきたい。ケアホーム、必要ですものね。